墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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清水古墳群3号・4号・5号墳(紫福山 清水寺) 宮崎県西都市大字清水

前回の清水神社前にあった説明板に、400mほど北の清水寺裏山に4基で構成される円墳群が所在しているとあったので、そちらも訪ねた。 

 

山門前に由緒書。古墳のことには触れていないが、紫福山(しふくざん)清水寺(せいすいじ)は臨済宗妙心寺派で、創建は承和14年(847)天台宗慈覚大師によると伝えられ、永禄元年(1558)に京都清水寺から伊東義祐によって観音菩薩が拝請されたそうだ。 

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山門をくぐって振り返って。玉砂利が美しく整えられていた。

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 上記の左手に並んでいた石仏さま。

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本堂。 

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背後の墓地へ向かうと、その後ろ側に標柱のある土盛りがあった。 

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墓地は台地先端の斜面の、眺めがよい場所にあった。南東方向ですぐ先に山路川が流れている。

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土盛りに上がらせていただくと、標柱には「宮崎県指定史跡 旧妻町清水・西原古墳群第五号」と刻まれていた。

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そこから北側を振り返ると、さらに2基。

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 上記の右側の墳丘へ向かうと、それが3号墳だった。

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3号墳から北側。この先2km、山路川を挟んで向こうの台地上に西都原古墳群がある。

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 3号墳から見た4号墳。左奥に5号墳。

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4号墳の墳頂。

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清水神社の説明板には4基とあったが、6号墳(?)は見つけられなかった。

どれも6世紀後半以降に築造された円墳。 

清水古墳群1号墳(清水神社)・2号墳 宮崎県西都市大字清水

前回の松本塚古墳の1.5㎞ほど南東に、清水・西原古墳群のピンが立っていたので立ち寄った。 

 

導かれていったのは清水神社。鳥居の脇に清水(きよみず)古墳群の説明板があった。

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ここも県指定史跡。前方後円墳2基を含む。

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県指定史跡 清水古墳群
昭和9年4月17日指定・平成27年9月7日名称変更
清水古墳群は、西都市街地から南西に直線距離で約2kmの位置にある、清水地区の丘陵先端部に所在しています。一ツ瀬川の支流である山路川と三納川の合流地点を望む場所です。この古墳群から同じ台地の西側約1㎞の沖積低地には、国指定史跡の松本塚古墳を含む県指定史跡の松本古墳群があります。
清水古墳群は、現在、前方後円墳2基と円墳4基が確認されています。
1号は、清水神社本殿北側に所在する前方後円墳で、前方部を北西に向けています。墳丘規模は、現状で墳長約37m、後円部の直径約19m、高さ約2.5m、前方部の長さ約18m、前面幅約21m、高さ約3mです。墳丘上には、川原石が露出し、葺石で覆われていたものとみられます。墳丘の前方部の高さが後円部より高いという特徴から、古墳時代後期中頃の築造と想定されます。
2号は、1号から100mほど北東の住宅地内に位置する前方後円墳で、墳丘周囲の変形が著しいものとなっています。前方部を南東に向け、現状の墳長約55m、後円部は直径約26m、高さ約5m、前方部の長さは約27m、前面幅約21m、高さ約5mの規模です。1号と同様に葺石で覆われていたものとみがれ、墳形から1号よりも1段階古い築造時期が想定されます。
また、2号から北へ約400mの清水寺の裏山には、4基で構成される円墳群が所在しており、6世紀後半以降に築造された群衆墳とみられます。
清水古墳群の2基の前方後円墳は、6世紀前半~後半にかけて2号→1号の順に連続して築造された首長墓(ヤマト政権とつながりをもった階層の高い人物の墓)と推測されます。これらの築造時期を考慮すると、松本古墳群(5世紀末葉)の後に造られた首長墓群とみられます。
平成30年3月 西都市教育委員会

 

清水神社社殿。 

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その裏が墳丘だった。

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「前方部を北西に向ける」とあるので、手前が後円部、左奥に前方部。

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後円部上から前方部を。

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墳丘の南に清水神社社殿。

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前方部上に「清水古墳群第一号」の標柱があった。

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前方部から後円部。

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墳丘の北側は駐車場。

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駐車場側から見た墳丘。右が前方部、左が後円部。前方部の方が高く見える。

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解説板に、北東に100mと書かれていた2号墳へ。  住宅の間を進むと土盛りが。

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ここが前方部先端になる。

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先へ進んで振り返って。道路によって削られている雰囲気。

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上記の右手から墳丘に上がらせていただいた。

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手前が前方部、右奥へ後円部。全長55mは、なかなかの大きさ。

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くびれ部から見た後円部。

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後円部墳頂の標柱には「清水古墳群第二号」

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後円部から見た前方部。

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下から見上げた後円部。

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後円部の一部は道路で削られている。

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背面には民家が並ぶ。

 

パノラマで。左が前方部、右奥へ後円部。

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