墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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権現山古墳 茨城県那珂郡東海村大字村松

東海村の権現山古墳は、前回の真崎古墳群の西200mほど、東海駅から歩くと25分ほどの場所にある。

 

県道284号「いちょう通り」が丘陵尾根を越えるところに、墳頂への鳥居が。

 

道路側に後円部を向ける権現山古墳は、全長87mの前方後円墳。

 

道路沿いにあった説明板。

東海村指定文化財(記念物・史跡)
権現山古墳(前方後円墳)
昭和61年3月5日指定
この古墳は全長約87m、後円部直径約45m、高さ5.5mの南西に面する前方後円墳である。現在は周辺部が住宅によって変形しているが、後円部の西裾部に周隍(しゅうこう:からぼり)が僅かに認められる。かつては墳丘の裾に幅の広い隍(ほり)が存在した。本墳は江戸時代に著された水府志料に記録があり、以来広く知られた古墳である。本村最大の古墳であることはもちろんであるが、墳丘をめぐる円筒埴輪に特徴があり、県下唯一の格子目タタキを認めることができる。
5世紀中葉に尾根を利用して築造されたもので、久慈川流域の古運を理解する上できわめて重要な歴史的意義を持つと思われる。
昭和61年5月 東海村教育委員会

 

実測図部分。北は左上。 

 

前方後円形はグーグルアースでよくわかる。 

 

鳥居をくぐって墳丘へ。

 

急な石段を上がる。

 

その先は木の根の斜面。

 

上から振り返った鳥居。

 

後円部墳頂の社に参拝。 

 

後円部上には柵で囲まれた古木があった。

 

道路沿いにあった説明板によれば、東海村指定天然記念物のヤマザクラ。

東海村指定文化財(天然記念物)
ヤマザクラ(バラ科)
平成元年3月6日指定(第18号)
ヤマザクラは落葉の高木で、通常樹高は15~20m、胸高直径50~60cmである。樹皮は暗褐色で横に剥がれる。花は4月に若葉と同時に開き、花弁は5枚で微紅色や白色のものなどがあり、径2.5~3cmで、6月に種子が形成される。陽樹で常に充分な陽光を必要とし、生長は早い。宮城県以南の本州から四国、九州に分布する。
このヤマザクラは地上約1.4mのところで分岐し、3本の主軸を形成している。東側、西側、南側の枝張りがよく、種子の生産も良い。樹勢、樹姿ともに優れた大木である。
平成元年12月 東海村教育委員会

 

前方部側を見ると、細道が。

 

尾根上には樹木があるので斜面を進む。

 

鞍部から振り返った後円部。

 

前方部側には大きな木が。

 

前方部墳頂の巨木。

 

その根元が前方部。

 

木の脇から振り返った後円部方向。

 

鞍部から右裾に降りる細道もあった。

 

道路へ出て振り返って。

 

墳形に沿う道路。ミラーの向こうがくびれ部。

 

後円部に沿って進む。

 

道の反対側には鳩小屋があった。

 

県道へ戻って。

 

道を渡って北側の眺め。

 

そこから振り返った墳丘。

 

帰路は東海駅へ徒歩で。県道を降りて振り返って。

 

棚田の向こうに”細浦”が。

 

平地に降りて、権現山古墳や真崎古墳群のある丘陵を望む。

 

”駅東大通り”を上って行くと立派な村立病院が。

 

その先に造成中の広い土地。

 

広い道路を造っているところだった。

 

上記の背面。

 

 原子力関連の施設が多い。

真崎古墳群 茨城県那珂郡東海村大字村松

前回のつづき(写真多めです、50枚以上)

東海駅に着いてから講演会が始まるまでの間に、周囲の古墳をいくつか訪ねた。 駅前にタクシーがあったので最初に真崎古墳群へ。

地図を見ると近くに真崎コミュニティセンターがあったので、そこを行先に告げた。

 

最後の枝道で右に入っていただいて下車。道路沿いに古墳の説明板があった。

 

振り向くと、コミュニティセンターの駐車場。

 

説明板を読んで、前方後方墳や六角形墳を含む、レアな古墳群と知った。

真崎古墳群
本古墳群は東西に尾根上に伸びる自然地形全体に構築されている。
東西150m、南北80mの範囲内に残されており、前方後方墳1基、六角形墳1基、円墳5基、方運1基の計8基で構成されている。
前方後方墳は久慈川流域では発見されておらず極めて重要な資料である。
また、六角形墳(多角形墳)は関東ではあまり類例が報告されておらず関東地方の終末期古墳の研究に大きな意味を残すものである。

 

「真崎の未来を考える会」による、わかりやすい周辺地図も。

 

看板脇からエリアに入ると、まず4号墳。

 

回り込んでいくと、4号墳の説明板。

 

この古墳だけ、測定の単位が細かかった。

第4号墳
真崎古墳群の北端、3号墳の北東10mにある円墳である。
南から北にかなり傾斜した地形に構築されている。
墳頂部にはトレンチ状の落ち込みが残されており、攪乱部分で泥岩片が見られる。
大きさは直径20m、高さは南側で1.635m、北側で3.385mである。
埴輪が樹立されている。 

 

4号墳の墳頂。

 

墳頂からコミュニティセンターを。

 

4号墳から見た5号墳

 

5号墳の前方部から”後方部”を。

 

5号墳は全長45mの前方後方墳。

第5号墳
3号墳と4号墳の東に位置し、西面する前方後方墳である。
本墳は後方部が墳丘主軸に対して幅広の形式に属するもので、改変された痕跡は見られず整然としている。
大きさは後方部幅は南北27m、東西25m、全長は45mである。

 

5号墳を横から。左が後方部、右が前方部。

 

5号墳の後円部上から前方部。

 

縦位置で。

 

5号墳から見た6号墳。

 

6号墳はエリアの南東端にある。

 

回り込んで南側からの6号墳。

 

その説明板。全周する周溝があるとのこと。

 第6号墳
真崎古墳群の東端、5号墳の後方部の南東にある円墳である。
周溝は墳丘を全周しており5号墳の周溝を切って掘られている。
大きさは直径25m、高さ3.9mである。

 

6号墳から見る5号墳。

 

6号墳から”中央広場”

 

明るい広場へ近づく。

 

左(南)側を見ると、崖の向こうに水田が。

 

広場の縁に7号墳。

 

7号墳は説明板を撮り逃がした。

 

7号墳裾から振り返る5号墳(左)と6号墳(右)

 

7号墳の墳頂から3号墳を。

 

陽当たりの良い3号墳。

 

その説明板。

第3号墳
1号墳の北東40m、4号墳の南西10mにある円墳である。
大きさは直径20m、高さは南側で2.35m、北側で3.21mである。
墳丘は完全で整然と残されている。

 

3号墳脇から7号墳

 

3号墳の西隣には、見た目では高さが認識できない2号墳。

 

説明板には66センチの高さとある。

第2号墳
1号墳の北東20m、3号墳の西10mにある低墳丘の円墳である。
大きさは最大で直径20m、高さは66㎝である。 

 

”古墳広場”をパノラマで。左が3号墳、右に7号墳。

陽だまりが暖かかった。

 

2号墳の南に8号墳。

 

8号墳は方墳だった。

第8号墳
1号墳の南東約20m、3号墳の南西約30m、7号墳の西約28mにある方墳である。
墳丘は改変されており南側中央には盗掘跡が見られる。
大きさは東西15m、南北17m、高さは1.53mである 

 

エリアの西端には、ひときわ大きな1号墳。

 

とても珍しい、六角形墳。

第1号墳
真崎古墳群の西端にある。墳形は六角形墳と思われる。
大きさは南北24m、一辺が約15m、高さは東側で4.95m、西側で5.87mである。西側の墳丘裾部が廃道により削り取られている。
また、北東側が腰高で、後世に何らかの手が加えられた可能性が考えられる。

 

高さもしっかりある。 

 

墳頂の様子。

 

1号墳の西側には宿舎のような施設。

 

振り返っての”広場”。

 

南側の先は崖。

 

1号墳の全容を。

 

その右手、広場側をパノラマで。左が3号墳、右に7号墳。

 

広場の南端に建設途上の説明板(?)があった。表も裏も白紙。

 

そこから南側に広がる平地は「細浦」

 

パノラマで。

 

眺めを味わった後、1号墳の脇から西へ抜ける”古道”へ。

 

時代劇が撮れそうな雰囲気。

 

すぐに県道に出た。

右へ上がって、権現山古墳へ向かった。