墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「朝霞から見る古墳の出現~方形周溝墓から古墳へ~」展(後編) @朝霞市博物館

前回のつづき。

最後に、埼玉県および朝霞市周辺の出土品シリーズを。

企画展コーナーの平台にずらりと並べられた土器は、埼玉の前方後方形墳墓の出土品だった。

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東日本の諸地域を同じように、埼玉でも前方後円墳に先行して、東海系土器と前方後方形の墳墓がひろがります。また、埼玉には、神門3~5号墳や秋葉山3号墳のような出現期の前方後円形墳墓は見られません。
書記の前方後方形墳墓は、方形周溝墓群の中で出現しており、方形周溝墓の一辺中央に陸橋部が発生し、その発達過程を経て、前方後方形墳墓へという流れが見て取れる事例が少なくありません。
埼玉でこの過程が顕著に見られるのが児玉地域と比企地域で、両地域の墳墓からは、東海西部系を中心とする外来系土器の出土が顕著です。ともに大河川流域における交通の要衝であり、開発の拠点地域だったと考えられています。
墳後の多くが低地を望む自然堤防上、台地・丘陵縁辺部に立地しており、低地部からの視覚的効果への意識によると考えられています。

 

昭和52年の調査で前方後方形周溝墓2基、方形周溝墓7基がみつかった塚本山古墳群(美里町)から。 

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方形周溝墓と前方後方形周溝墓。前方部の発生過程は”生物の世界”のよう。

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村後(むらうしろ)遺跡も美里町。

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同じく美里町の南志渡川(みなみしとかわ)遺跡は前方後方形周溝墓1基、方形周溝墓9基の墳墓群。

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4号墳(前方後方形周溝墓:墳長25.5m)の周溝からはパレススタイル壺が出土した。

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上記を真横から。

この文様の特徴をもつ壺が後続する方形周溝墓群からも出土するので、被葬者は東海西部地域とのつながりが強かったことがうかがえるという。ただしその後につづく2号墳では畿内系二重口縁壺が存在感をもつようになるとのこと。 

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次の埼玉県4例目は吉見町の三ノ耕地遺跡と山の根古墳。

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吉見丘陵直下の低地(自然堤防上)に立地する三ノ耕地遺跡には、弥生末期から古墳時代前期にかけての方形周溝墓28基と前方後方形墳墓3基があるが、その3基は古いほうから全長が拡大(3号25m→2号30m→1号48.8m)しつつ前方部が長大化し、さらには低地を望む丘陵上の、山の根古墳(墳長54.8m)へと続いていくと考えられているそうだ。
出土した土器からは東海西部と近畿地方両方との関わりが見て取れるとのこと。 

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山の根古墳も前方後方墳。

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同じような写真になるが、東松山市の根岸稲荷神社古墳と下道添遺跡の出土品。

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後方部幅約20m、前方部5m以上を測る前方後方墳と推測される根岸稲荷神社古墳は埼玉県内最古級の前方後方墳と考えられている。

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諏訪山29号墳と高坂8号墳(どちらも東松山市)も前方後方墳。

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諏訪山29号墳の陸橋部から出土した二重口縁壺。底部焼成前穿孔がある。

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同古墳の同じ場所から大郭式の大型壺(頸上部)も出土。

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高坂8号墳の隣接地からは三角縁神獣鏡が出ている。

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最後は朝霞市周辺のセクション。

和光市の吹上原遺跡は弥生後期の遺跡。

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方形周溝墓26基が検出されている。

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土器は周溝の四隅から出土(図の赤丸)

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出土した大きめの壺は美しい形をしていた。

シンプルな機能美を追求した”モダンデザイン”のように感じられた。

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隣の壺の文様は、昭和時代のセーターの柄のようでは。

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形もトックリ型であるし。

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こちらは志木市の西原大塚遺跡(弥生後期~古墳時代前期)

前方後方形墳墓は検出されていないが、方形周溝墓の大型化がみられる。

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西原大塚遺跡17号方形周溝墓から出土した土器群(壺)には、典型的な在地の文様もの、比企地方の特徴をもつもの、東海西部地方の系譜をもつものなどがそれぞれ見られるそう。

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朝霞市の向山遺跡のコーナー。

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柊塚古墳の西側に広がる向山遺跡は弥生時代中期後半からの方形周溝墓跡が見られるが、径18mの円墳も見られ、その後に一夜塚古墳(6世紀・伝墳径50m程)へつながっていくそうだ。円墳になるころから、土器にみられる近畿地方の影響が強くなる。

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上記の解説文。

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朝霞市の宮台遺跡(柊塚古墳を含む遺跡)の出土品。

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ということで、非常に充実した展示をみることができました。図録も購入。

吉見町や東松山市など、まだまだ自分が未探訪の古墳が多く紹介されていたいので、近々に訪ねたいと思います。