昨年12月には、吉阪隆正(よしざかたかまさ)が手掛けた東京郊外の名建築も見学した。
朝日カルチャーセンター主催の「屋外教室」に参加して。
総勢20名ほどのツアーで、講師は建築家の矢原奈欧氏。「東京レトロ建築探訪入門」というタイトルで見学会は毎月開催されている。
https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/75af3c9f-188e-9d95-c7c7-5d98106563b6
京王線の北野駅に午前10時集合。そこから路線バスで17分、降りて数分歩く。
野猿街道の野猿峠の信号から枝道へ。
その先で左に折れて広い敷地に入る。
丘の上に特異な形の本館がそびえたつ。
上り階段だが、足早になる。
屋根下の三角の奥に、こちらを見つめる目。見つめられなくても建物の存在感に圧倒されるが。
この三角庇の下が受付玄関になる。
公益財団法人・大学セミナーハウスは、一般でも利用できる宿泊・教育研修施設で、22,400坪の敷地に宿泊施設が6棟、セミナーができる施設が11棟あり、ゼミ合宿、音楽合宿、勉強合宿、社員研修などに現在も利用されている。
本館を含み、宿舎100棟、セミナー室7棟、中央セミナー館、サービスセンター、職員宿舎が建てられた第一期の竣工は昭和40年(1965)
その後1978年の第7期まで、講堂や図書館、教師館やセミナー館などが増築されていった。
施設としては2006年に新築されたものも。
本館は2017年に東京都選定歴史的建造物に選定された。玄関脇に解説板があった。
東京都選定歴史的建造物
大学セミナーハウス本館
所在地:東京都八王子市下柚木1987-1
設計者:吉坂隆正+U研究室
建築年:昭和40年(1965)
大学セミナーハウスは、昭和40年(1965)東京都八王子市、多摩丘陵の自然の中に開館した研究施設である。高度経済成長期のマスプロ化した大学教育に疑問を抱いた、提唱者の飯田宗一郎(1920~2000)の構想に、国公私立大学の賛同者が設立を呼びかけ、財界の支援で開館した学生のための教育の場である。
逆ピラミッド型の本館は、宿舎やセミナー室の利用者のシンボルとなる建物である。設計した建築家の吉阪隆正(1917~1980)は昭和25年(1950)から二年間、パリのル・コルビジュエのアトリエで学び、帰国後「ヴェネチア・ビエンナーレ日本館」をはじめ、住宅や教育施設、市庁舎などを設計した。
大地に楔を打ち込んだ形の本館は、大学セミナーハウスの理念、哲学、そして機能をあらわす。構造設計は田中彌壽雄(1929~2014)。貝殻のような薄い曲面板を組み合わせたシェル構造である。杉板の型枠で打設したコンクリートの彫塑的な力強い表情が特徴である。また、コンクリートの端部や手摺、建具の押手、枠などのディテールは、ゆたかな表現をつくっている。
その後、この施設は増築を重ね小さな村のようになった。同時に周辺の宅地開発が進んだが、コンクリートの人口土地をつくり、地形を生かした大学セミナーハウスには、多摩丘陵の自然が残されている。
東京都
吉阪隆正(1917~1980)は下記のTOTO出版の本の紹介欄に詳しい。
ル・コルビュジエの3人の日本人の弟子(前川國男、坂倉準三、吉阪隆正)のひとりで、1941年に早稲田大学理工学部建築学科卒業後、助教授を経て1959年教授に就任。
1963年に「アテネ・フランセ」で日本建築学会賞受賞。日本建築学会会長も務めた。
高校時代からのアルピニストでもあり、早大遠征隊として赤道アフリカ横断とキリマンジャロ登頂、早大アラスカ・マッキンレー遠征隊では隊長に、ヒマラヤK2遠征も組織したそうだ。
https://jp.toto.com/publishing/detail/A0265.htm
設計者として涸沢ヒュッテや黒沢池ヒュッテも手掛けている
玄関上の庇を正面から。
庇の上を見上げると、上階と向かいの丘上のセミナー棟とをむすぶ渡り廊下。
大きな壁が手前に傾いていて、平衡感覚がおかしくなる。3次元のトリックアートを見ているような気分になった。
検診箱(?)の後ろの三角で、斜度が想像できる。確認し忘れたが65度くらいか。
壁素材がコンクリートであるところが、強烈な存在感を増幅している。
四角錐、つまりピラミッドを逆さに地面に突き刺した形。
角だけみると船の舳先にようにも。
内部は大括りで4層だが、スキップフロアになっているのでフロア数自体はそれより多い。
庇のない部分から降りる雨水は壁の溝をつたう。
大地に接するところは、出ている部分は一部だが斜めでなく垂直に立ち上がっていた。
玄関から入ると事務室になるが、頭の上に階段踊り場がある。
踊り場から見下ろした玄関。
一見普通に見える事務室だが、窓を含む壁が外に傾斜している。よって天井までの空間は広々していた。
2階の個室を見た後に、3階の談話室へ。
先ほど外から見て金網が貼ってあった台形部分が明り採りになっていた。
ベンチが壁に直接据え付けられている。
そこから4階(踊り場)への階段。
立派なデスクのある個室。
窓が斜めなので、カーテンは常に窓に張り付いてしまう。
個室から踊り場への階段。
そこから見下ろす談話室。さきほどの階段を上から。
最上階の会議室。
天井は微妙にアーチを描いているようだった。
天井の中央部分。
そこには天窓があった。窓の上に梁がクロスしているが、部屋の角(逆ピラミッドの四角の四隅)をつないでいるか、あるいは向かい合う壁同士を引っ張り合っているのだろう(未確認)
普通はコンクリ壁は屋根を支える構造体となるが、この建物はコンクリ壁自体が支えられないと倒壊してしまう。
そのためには、最上部の四隅がしっかり連結されている必要がある。
窓からの眺め。丘の上なので見晴らしがとても良い。
最初に見えた連絡橋。
連絡橋へ降りる側に手前にせり出す三角が。
みなさん上を覗き込む。
そっくり返るように上を向くと、最初に見た「目」と目が合った。
連絡橋側出入り口の脇には、2種類の建築模型が置かれていた。
こちらは縮尺が小さな方。今は使われていないバンガローが数多く並ぶ。
縮尺の大きい方。右が本館で屋根の形がわかった。左に富士山形のセミナー棟があるが、本館の逆ピラミッド形デザインは、計画時に偶然逆向きに置かれた富士山形模型を見てインスピレーションを得たのだそう。
扉から外へ出て連絡橋へ。橋との連結部の意匠。地震等での圧力を受け止められるようにしている?
振り返っての上部壁。
ここも庇の無い部分だった。
逆バンクの建物では外壁や窓の清掃は難しいはず。壁面の広さや素材には、そのようなことも考慮されているのか。
結構高さがある橋だった。
対岸から。
別の角度から。
自然に囲まれた環境で、モニュメンタルなものを造るとすれば幾何学的な形になっていくということを講師の方から聞きました。
斜めの直線が引かれた三角形は特に目立つ。だからピラミッドはその形。
前方後円墳の「くびれ部」に惹かれるのも、似たようなことか。