墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

角力取山古墳 岡山県総社市岡谷

岡山2日目の朝、最初に鬼ノ城を訪ねた後に、作山古墳の南にある角力取山(すもうとりやま)古墳へ立ち寄った。

平地部の南端で、150mほど北を横切る旧山陽道からは基盤の標高が10mほど高い位置に築かれていた。

 

道路側から見上げた墳丘。

 

斜面に立つ標柱。 一辺約40mの方墳で、5世紀後半の築造。

角力取山古墳

角力取山古墳は、公園整備に伴う調査によって一辺が約40m、高さが約6mとこれまで考えられていたより大きな方墳になることが分かりました。
古墳の周囲に堀のような周溝がないことは確認されていますが、埋葬施設や斜面に葺かれた石などの存在については不明です。これまで採集されている埴輪からみて、5世紀後半に築かれた古墳と考えられています。

 

山手村時代の解説板も。

古墳名の由来である奉納相撲が行われていたのは墳丘西側とあるので、説明板の向くこちら側(後ろは小公園)に土俵があったのだろう。

角力取山古墳(山手村指定史跡)
この古墳は古墳時代中期、5世紀頃沖積地に築かれた全国でも珍しい方型古墳(高さ7m、南北30m、東西37m)で、かつて地域の支配者であった豪族の墓陵と言われている。
古くから古墳の西側に土俵を設け、氏神・御崎神社の秋祭り最終日に奉納角力が行われ、戦前まで続いていたことから、角力取山と呼ばれるようになったという。

大松(岡山県指定天然記念物)
この黒松は高さ約20m、目通り周囲約5m、樹齢約400年で、昭和5~6年頃までは4本の巨木があったが、半世紀の間に三本が枯れて、老松一本だけとなった。
山手村教育委員会

 

墳丘上に石垣と石灯篭が。由来は分からなかったが、奉納相撲の日に明かりが灯されたのだろうか。

 

その隣には、見事な枝ぶりの黒松。

 

墳頂に聳え立つ。

 

樹齢450年の老松。

 

途中でぐにゃりと枝を曲げ。

 

斜面を這うように伸びていた。 

 

墳頂からは作山古墳がよく見えた。その間に旧山陽道が通る(正面民家の瓦屋根の右上の一時停止標識のあたり)

背後の稜線の右よりに鬼ノ城が写っていた。

作山古墳は5世紀中頃の築造なので、その後に角力取山古墳が築かれたことになる。

Wikeipediaの作山古墳の項には、旧山陽道沿いには作山古墳のほかにも造山古墳や両宮山古墳(赤磐市穂崎)が築かれていることから、5世紀にはすでに旧山陽道に先行する道があり、その道を通る人々に対して権力を誇示する意図があったと推測される、ともある。

 

墳丘をズームで。作山古墳までは北北西に600mほど。こちらがわに前方部右裾を向け、右奥が後円部になる。

独立丘陵を加工して作られた山だが、一面に葺石が貼られ、5千個以上の埴輪が帯のように並んでいた築造当時は、さぞかし荘厳であっただろう。

 

眺めを楽しんだ後、方墳の北東側稜線を降りた。 

 

次なる松が成長中。

 

北側から見る角力取山古墳。

 

上記の右端、北西側の裾から見上げて。

 

南側に回り込むと、墳丘の形がはっきり分かった。