備中国分寺跡を見た後、まだ空に明るさはあったので、もう一か所、すぐ近く(300m南)にある宿寺山(しゅくてらやま)古墳を訪ねた。
グーグルマップを頼りに行くと、よい雰囲気の旧道に。
角には造り酒屋さんが。
酒蔵に日没直前の光が当たる。
北へ抜ける枝道角に立派な石碑。
道を西へ向かうと、すぐに左手、畑の向こうに墳丘が現れた。
その先には墳丘への小径も!
入口に門?
解説が書かれた標柱。
総社市指定史跡 宿寺山古墳
作山古墳に続く5世紀後半の吉備の大首長の墓です。
墳丘は二段の平坦面と斜面からなり、最下段の斜面にのみ石が敷かれています。また、古墳の周囲には、堀が廻らされています。
埋葬施設は、明治・大正時代に掘られており、後円部の竪穴式石室から鏡や刀剣、冑などに加え、非常に珍しい金製のかんざしも出土しています。
総社市のサイトによれば、宿寺山古墳は全長約116mもある前方後円墳。
後円部の竪穴式石室の数は1基とも2基ともいわれているそうで、前方部にも竪穴式石室が1基築かれているとのことだった。
http://kamadoneco.blog122.fc2.com/blog-entry-5.html
標柱のある場所が前方部の左裾。 その先から前方部に上がる小径。
段築テラス上から後円部方向。手前が前方部左斜面で奥にくびれ部・後円部が感じられる。
前方部への最後の上り。
上った先の前方部墳頂には廃屋が。
その奥の平坦部分。結構暗くてぶれました。
後円部があると思われる方向は、竹藪でよくわからず。
振り返っての前方部先端方向。長軸は東西方向。
北方向を、樹林の隙間から。
五重塔のあるスカイライン。
墳丘から降りて、来た道を戻って振り返って。
その道は旧山陽道。上記の左の角に立っていた石柱。
隣の説明板。
宿(しゅく)の町並み
宿は旧山陽道の宿場町として栄え、街道沿いには今も当時の名残をとどめる屋号の残る家がたくさんあります。また、木野山町・戎町・荒神町・金比羅町・牛神町などお祀りする社の名前のついた町名が今も使われています。北には備中国分寺や同尼寺跡、すぐ南側には寺山古墳(全長120mの前方後円墳)があり、吉備路の中心に位置します。
山手村文化財保護委員会
古墳の名前は、「宿」にある寺山古墳であることからでした。
そこから見上げた左後ろの木立がその墳丘。
その背面にある、冒頭に目にした造り酒屋さんは「三宅酒造株式会社」
中へ入ると事務所のような店構え。
商品は戸棚に。
こちらの純吟オリジンは、地元吉備の5つの酒造会社による共通のブランド。グリーンラベルがこちらも三宅酒造さん製造のものとのことで購入した。「みやこ」という地元の酒米が使われているのですが、非常においしかったです。
酒造り資料館を見学できるとのことで、若い当主の方(?)に解説していただきながら、古い蔵の2階ワンフロアを一巡りした(有料:一般400円)
http://suifu-miyake.jp/about/siryou.html
入口で杉玉を持たせていただいた。結構ずっしり重い。緑の杉玉で新酒が、茶色になって…と、季節ごとに商品が出来たことを知らせる意味がある。毎年何人もで山へ入って杉の枝を軽トラック3台分ぐらい集め、いくつかの杉玉をつくるとのこと。
業者から買うと、一つ30万円ぐらいするそう。
2階の資料館。酒造りの工程を、その道具とともに教えていただいた。
酒米を運ぶ米俵には独特の注連飾り。
古い道具がそのまま置かれ、倉庫を見ているようなリアルさが感じられた。
南北に長い倉庫の北端の壁に気になるものが。
手書きの古墳解説が2枚。
こちらは南に隣接する(宿)寺山古墳。
後円部の3分の1ほどが削り取られていることがわかった。
寺山古墳
二段築成周囲堀をめぐらし5世紀中期の前方後円墳で縦穴式細石を積み上げた古墳は後部に有り。出土品 長刀 約300本、中国製龍鏡、金のかんざし、矢鏃、その他陶器類
なんと寺山古墳の地所は、こちらの酒屋さんの私有地だった。造り酒屋としては江戸期から続くが、それ以前からこの地で醸造業を営んでいたとのこと。
かつては蔵に出土物も数多くあったそうだが蔵の整理の際などに、いつのまにか持っていかれてしまったとお聞きした。
扉を開いていただくと、目の前に備中国分寺五重塔が。
塔の右奥の山の上は、鬼ノ城になるそうだ。
こちらは炭火で御燗ができる、携帯用道具。
歴代総理大臣が書いた「國酒」の筆文字。
来る12月8日に新酒試飲会があるそうです。 これは行きたい、でも遠い。
http://suifu-miyake.jp/pdf/1208.pdf
外へ出ると古墳の上に月が出ていました。