墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

楯築遺跡(王墓の丘史跡公園) 岡山県倉敷市矢部

弥生時代の大型墳丘墓・楯築(たてつき)遺跡は造山古墳と吉備津神社の間くらい、どちらからも2km半ほどの、足守川右岸の独立丘に立地する。

 

周囲は住宅地、公園として整備されていて数台分の駐車スペースもあった。

 

周囲には小規模な古墳も多く残る。

王墓の丘史跡公園案内
王墓の丘史跡公園は、王墓山丘陵に残された貴重な遺跡群を広域的に保存・公開するために約6.5haの区域について整備を行ったものである。
公園は、楯築地区・日畑赤井堂地区・王墓山地区の三つの地区に分かれている。これらの地区には、楯築遺跡(国指定史跡)・王墓山古墳(県指定史跡)・日畑廃寺(市指定史跡)などの史跡のほか、総数60基にものぼる古墳群が残されている。
これらは吉備地方の歴史を考える上で欠くことのできない重要な遺跡であり、永く後世に伝えていかなければならない。
地図の赤丸印は現存する古墳
倉敷市教育委員会

 

 スロープを上がるとあずまやが。

 

国史跡で、詳細な解説があった。

楯築遺跡
国指定史跡 昭和56年12月9日指定
弥生時代後期(2世紀末頃)に造られた墳丘墓。墳丘は、やや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部をもつ特異な形をしていますが、突出部の大部分は昭和40年代に行われた住宅団地造成の際に破壊されました。消滅した突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では全国でも最大級の大きさを誇ります。
昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が中心となって発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかとなりました。
5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が確認されました。このうち中心主体となる埋葬は、円丘中央部に掘られた長さ9mの巨大な墓壙を伴い、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨構造であることがわかりました。木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていたほか、歯の小片2点も検出されました。また、棺の底には、総重量32㎏を越える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていました。木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から、特殊器台や特殊壺といった供献土器をはじめ、人形土製品や土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫に納められている旋帯文石(せんたいもんせき:国指定重要文化財)と同様の文様を持つ小形の石(弧帯文石)が、意図的に割れれた状態で発見されており、このふたつの石の関係が注目されます。
南西突出部の調査では、その先端が給水塔フェンスの下に残存していることが明らかとなり、平らな面を外側にして立てられた列石が良好な状態で検出されました。また、突出部の前面では、尾根を切断するように掘られた大溝も確認されており、墳丘墓の造営がかなり大規模であったことがわかります。
楯築遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷を考える上で重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されています。
倉敷市教育委員会

 

英語版も。

 

測量図や発掘調査時の写真。

 

復元想定図には興味を掻き立てられる。前方後円墳の原型のひとつであるような実感。

古墳にも双方中円墳という形態があるが事例は少ない。

 

そこから墳丘へのアプローチ。 給水塔は、残念ながら南西側の突出部を削って建設された。

 

給水塔の後ろ(北側)に直径43mの緩やかな高まりが。

 

板状の巨石が3枚立つ。 

 

埋葬位置を守るように?

 

いつから立っているのだろうか。ずっと? 

 

語り合っているようにも。

 

一番背の高い石。横から見ると相対的には薄い。

 

北東方向への尾根。

 

こちら側の突出部も崖下側の住宅地造成で削られている。

 

そこから北側の眺め。

 

最上稲荷大鳥居が中央に。

 

パノラマで。

 

東側をズームで。

左右からの山の間に旧山陽道が通り、備前と備中の国境があった。右の山裾に吉備津神社がある。

 

振り返っての墳丘。

 

中央の石の背中に何かある。

 

そこには石を組み合わせた祠があった。

 

他にも形を整えたような石が。

 

こちらも。

 

パノラマで。

 

墳丘の東側に階段が付いていた。降りて振り返って。

 

階段脇の斜面には巨石が。

 

正対の位置で。もとからあったものだろうか。

 

墳丘を南側から。

 

振り返るとコンクリ製の建物が。 

 

すぐ脇に説明板があった。もともと墳丘上の祠に御神体としてあった「旋帯文石(せんたいもんせき)」を収める蔵だった。

旋帯文石(せんたいもんせき)
国指定重要文化財
昭和57年6月5日指定
隣にある収蔵庫に納められているこの石は、かつて楯築遺跡の上に建てられていた楯築神社の御神体で、円丘上に今も残る小さな石の祠に長らく安置されていました。石の表面には、帯が円を描きながら複雑に絡み合う文様が彫り込まれており、その様子は収蔵庫の窓越しに見ることができます。正面には顔と思われる表現が浮き彫りにされており、地元では別名「亀石」とも呼ばれています。
この不思議な文様を持つ石は他に類例がなかったため、その性格や制作時期については長らく謎のままでした。しかし岡山大学が実施した楯築遺跡の発掘調査で、旋帯文石と同じ文様を持つ小形の石(弧帯文石)が出土したことから、この石は、楯築遺跡と同じ弥生時代の終わり頃に作られたものであることが明らかとなりました。
倉敷市教育委員会

 

収蔵庫に実物を見られる窓があったことは、エントリを書いている時点で知った。解説板は現地で読まないと(と反省を繰り返しています)

 

なお、ブラタモリでは収蔵庫の中へ入るようです。

 

旋帯文石(せんたいもんせき)は、以前に佐倉の歴博でレプリカを見ました。 

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/08/13/000500

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上野の東博でも、ガラスケース入りのレプリカをいつでも見ることができます。

 

顔の表現。

 

帯状の文様は、円筒埴輪の祖型となった特殊器台と共通する意匠。

 

 

人形土製品は兵庫県立考古博物館の特別展で拝見(2019/12/8まで)

http://massneko.hatenablog.com/entry/2019/11/11/000000

以前に江戸東京博物館の企画展でも見てました。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2018/12/14/000000

 

現地の入口近くの説明板には出土した特殊器台や弧帯文石などの写真もあった。

 

収蔵庫の南側の木立。

 

木立の側から見た給水塔。

 

木立の中にはベンチもあった。 

 

その先の斜面には古墳が点在する。

 

位置を示した看板も。

 

全部を周る余裕は無かったので、すぐにわかった3基のみを。

王墓山向山9号墳。

 

 王墓山向山11号墳。

 

王墓山向山15号墳。