墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

造山古墳 岡山県岡山市北区新庄下

前回までの兵庫シリーズの前に2日半かけて岡山の古墳を訪ねた。 最初の訪問先を造山古墳(つくりやまこふん)とした。(写真多めです。50枚超)

 

ほぼ快晴の岡山空港。 

 

ももっち君が迎えてくれました。

 

レンタカーを借りて出発。

20分強で、グーグルマップの「トイレ」の印に導かれ、見学者用駐車場に到着。 

 

ビジターセンターが新築工事中。まだ基礎工事段階だったが2020年春にオープン予定。

 

そこから西側に大きな墳丘があった。右が後円部。

 

立体模型も。周囲には複数の陪塚がある。

 

とても魅力的な路地を横目に見ながら墳丘へ。

 

くびれ部に、2018年7月豪雨の爪痕。

 

墳丘へ上がる見学路脇も補強されていた。

 

前方部についたその階段の途中から後円部方向。

 

そこから見た東側の小山(墳丘ではありません)

山の向こうに山陽自動車道が通り、その先に弥生期の楯築遺跡がある(当地から2㎞強)

 

振り返っての見学路。瓦屋根がきれい。

 

前方部上には荒神社(こうじんじゃ)がある。

 

鳥居をくぐって参拝。

 

拝殿側から。

 

疫神(えきじん)を祀る石碑。

 

拝殿前に造山古墳の説明板があった。

全国4位の大きさで、上がれる墳丘としては日本最大。築造時期は5世紀前半と考えられている。

国指定史跡 造山古墳
当古墳は墳長約350m、後円部径約200m、高さ約24m、前方部幅約215mを測る前方後円墳で、岡山県下で第1位、全国でも第4位、自由に立ち入りできる古墳としては全国一の規模を誇ります。大正10年(1921)、周辺の中小古墳(第1~6古墳とともに国指定史跡となりました。
古墳は、低い丘陵を切断し、土盛りや削平などを施して形を整えています。墳丘は三段築成で、くびれ部両側に台形の造り出しを設けています。また、墳丘表面には葺石がふかれ、各段には円筒埴輪がめぐらされていました。このほか、盾・靫・蓋・家などの形象埴輪も見つかっています。
埋葬施設などの詳細は未調査のため不明ですが、墳丘規模・外表施設等の有り様からみて、被葬者は当地域の首長であったと同時に、吉備全域をも統括していた大首長の地位にあったと考えられます。また、造山古墳に次ぐ作山古墳(総社市)、両宮山古墳(山陽町)などの巨大古墳の存在は、吉備が機内の勢力と肩を並べるほどに強大であったことをうかがわせます。
なお前方部に置かれている刳りぬき式の舟形石棺は阿蘇溶結凝灰岩製で蓋には直弧紋が刻まれているなど九州地域の石棺の特徴を持っています。近くの新庄車塚古墳から運ばれたものとも、当古墳の前方部から出土したものとも伝えられています。
平成15年3月31日 岡山市教育委員会

 

実測図を拡大。 

 

そばには石棺が展示されている。

 

少し離れて、石棺蓋の欠片が野ざらしで。

 

蓋の説明板。

石棺蓋 大正10年3月8日指定
史跡造山古墳の前方部頂部には、刳り抜き式の長持形石棺の身が置かれている。阿蘇凝灰岩製で、千足古墳の石障とともに吉備と九州が緊密な関係にあったことを示している。
この石棺は、造山古墳の北にあった車塚古墳から運ばれたという説を造山古墳から出土したという説がある。
やや離れた位置にある石棺の蓋は完形ではないものの、表面には直弧文の線刻があり、内側には赤色顔料が明確に残る。また、神社石垣には阿蘇凝灰岩製の石塊が認められる。石棺の身以外の部材が認められることから、造山古墳以外の場所から持ち運ばれてきたのではなく、付近で出土した可能性が高いと思われる。

 

内側には赤色と、鋸歯文(オリジナル?)が確認できた。

 

石垣にまぎれている阿蘇凝灰岩は分からなかった。

 

前方部先端側の南西方向。

 

左裾へ、稜線を降りてみた。

 

斜面から北西側の眺め。向かいの丘陵・こちら側斜面の右端あたりに小造山古墳が、左端あたりに新池大塚古墳が立地している。

 

2段目テラスまで降りて振り返って。右奥へ2段目の前方部先端が続いている。

 

下まで降りて振り返って。

 

前方部先端にある道路と、右は周濠。右(南西)から続く丘陵をここで断ち切っていることがわかる。

 

前方部先端の斜面。

 

その大きさに圧倒される。

 

前方部右裾に歩くと、簡単な説明板と石碑があった。

造山古墳
長径350mの前方後円墳履中天皇陵に次いで全国第4位の規模をもち、上・中・下の3段の墳丘をつくり、埴輪円筒列をめぐらせてあった。付近の6基の小古墳と共に国の史跡に指定されており、6基のうち千足古墳の石室には、直弧紋様の装飾彫刻を施した槨障がある。岡山県岡山市

 

石碑の脇から、前方部先端ラインを振り返る。

 

こちら側の稜線には石段が付いていた。

 

再び墳丘に上がって、神社のある前方部側から後円部方向を。

 

”背中”に植えられた桜並木。

 

くびれ部から後円部へも結構な比高差。

 

後円部に上がって前方部方向を。なんという大きさ!

小学生の団体がやってくるところだった。

 

後円部墳頂も広大。

 

パノラマで。

 

後円部から長軸の延長線方向(北東)を。

 

ズームで。中央の鳥居が最上稲荷大鳥居、その左あたりに備中高松城跡がある。

 

北側の様子。白い建物は老人ホームで、後ろがお寺のある庚申山。

 

後円部から見た北西側、小造山古墳のある方向。

 

南西側。左に前方部が続く。中央奥がおそらく福山(302m・距離約5㎞)で、その途中、低い丘陵の向こう側に、備中国分寺や作山古墳、こうもり塚古墳や江崎古墳など、多くの古代遺跡が集中している。

 

後円部の縁に土塁状の場所があるのは、戦国時代に改変を受けたからとのこと。

以下はWikipediaより引用。

(後円部上の)平坦部は、安土桃山時代羽柴秀吉の毛利攻めの際、毛利方が陣地を設けるために頂上を平らにしたことによるものと考えられている。このとき、後円部の周囲に土塁を築き、さらに郭を2カ所、竪堀を3カ所設けている。

 

そこから再び前方部方向を。

 

パノラマで。左奥は江田山で、登ると造山古墳の鍵穴形がよく見えるという。

 

くびれ部の崩壊部分。

 

これ以上崩れないように補強されていた。

 

後円部斜面から見たくびれ部。

 

後円部周囲の道路。

 

道路から見上げた後円部。 

 

歩きながら大きさを実感する。

 

墳丘西側には牧場があった。

 

前方部左裾側から。左奥が後円部。 

 

持っているカメラでは、墳丘から遠ざからないと全容がフレームに収まらない。田んぼの中を北西へ。

 

後ろの山と重なってしまったが、左から後円部→くびれ部→前方部。

雄大な墳丘を堪能させていただきました。 

 

こちらの岡山観光WEBに、空撮も含めた美しい写真が掲載されています。

 https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/175/page