墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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宮山古墳・姫路市埋蔵文化財センター 兵庫県姫路市四郷町

播磨国分寺跡から20分強歩いてきて、たどり着いた姫路市埋蔵文化財センター。

 

宮山古墳の隣に建つ。

 

予想を超える立派な建物だった。

 

受付の様子。入館無料。月曜休館で10時~17時開館。 

 

企画展示室では秋季企画展「TSUBOHORI-発掘調査展2019-」と題して、姫路市西庄の石ツミ遺跡(弥生中期)やJR網干駅北側の関ノ口遺跡(弥生時代中期や古墳時代初め)、姫路城南西部の備前門跡などの発掘調査成果が展示されていた。

https://www.city.himeji.lg.jp/maibun-center/0000009191.html

 

2017年度の成果だが、毎年500件超の調査を行っているそうだ。

 

展示スペースは2階にも。

 

収蔵室の窓が、展示コーナー。

 

壇場山古墳の円筒埴輪(の一部?)

 

同古墳の盾形埴輪片。

 

見野長塚古墳出土の須恵器ラインナップ。

 

下段の写真に見野長塚古墳の位置が示されている。現在地から徒歩30分ほど南。

 

上段の瓢塚古墳は今回の墳行では通過してしまったが国指定史跡の前方後円墳(全長100m前後)で箸墓古墳の相似形になるという。機会を見つけて訪ねたい。

 

当館に隣接する宮山古墳のパネル解説もあった。

宮山古墳の位置と環境
宮山古墳は、市川下流東岸にある標高33mの尾根上に築かれた、直径約30mの古墳時代中期(5世紀)の円墳です。周辺には壇場山古墳や山之越古墳をはじめとして、前期から後期にかけての古墳が点在しています。調査は昭和44年と昭和47年の2回行われ、埋葬施設が3基確認されました。調査された順に第1から第3主体と故障されていますが、実際に築かれた順は、第3主体→第1主体→第2主体と考えられます。出土した副葬品や埋葬施設の影響は朝鮮半島からの影響を色濃く感じさせるものです。古運は昭和48年に兵庫県の史跡に指定され、出土品は平成10年に一括して国の重要文化財に指定されています。

 

主体部(第1主体)の解説。

宮山古墳 第1主体
全長約4.6m、幅約1.8mの竪穴式石槨で、凝灰岩の割石を丁寧に小口積みし、床面には割石と河原石を敷いていました。盗掘にあっていた石槨の保護がきっかけとなり、ここから宮山古墳の調査が始まりました。大半の遺物が失われていますが、石槨の規模は他の2つの埋葬施設より一回り大きく、さらに充実した内容の副葬品があった可能性が高いとされます。保存修理の過程で、金銅装の小札の存在が明らかとなり、被葬者が金銅装の武具を着用していた人物を考えられます。また、第一主体の埋土中からは盾形埴輪の破片が出土しており、墳丘上で埴輪の祭祀が行われた可能性が考えられます。

 

建物2階から宮山古墳への通路があるとはこれも予想外。

 

外へ出て向かいの墳丘へ。

 

階段を上がって古墳公園へ。

 

公園広場からさらに墳丘へ。

 

墳丘テラスにあった説明板。古墳は県史跡だが出土品は国重要文化財指定。

宮山古墳
県指定史跡(昭和48年3月9日指定)
5世紀後半に築かれた直径30mの円墳で、尾根の突端部に位置している。昭和44年と47年の二度の発掘調査の結果、並行する二つの竪穴式石室の下にもうひとつの竪穴墓があることがわかった。土器のほか、刀・鏡・装身具など多種多様の遺物が出土した。なかでも、二対の垂飾付耳飾りや金象嵌大刀などは全国にも類例の少ない貴重なものである。
出土物は一括して平成10年6月30日に国の重要文化財に指定された。
平成11年3月 姫路市教育委員会

 

 円墳の墳頂へ。

 

コンクリ柵で囲まれた部分が。

 

すぐ下に2つの埋葬施設、さらにその下にもう一つ検出されているとのこと。

 

兵庫県立考古博物館に出土品のレプリカが展示されている。

 

銀の指輪も。

人が直接身に着ける装飾品は千年以上前から変わっていないですね。

 

墳頂周囲は木が茂っていて眺望はなく。

 

樹々の向こうに文化財センターの建物。

 

墳丘の斜面。

 

斜面裾から見た眺め。

 

埋蔵文化財センターに戻りってパンフなどを確認していると、周辺にある幾つもの古墳の説明が。ここ四郷町(しごうちょう)は”古墳の町”だった。

 

外の看板にも、見野古墳群めおと塚(6号墳)の大きな写真パネルがあった。 

非常に興味をかきたてられましたが、この後に予定していた五色塚古墳が見学できなくなりそうなので次の機会としました。

 

2019年11月上旬訪問