茶臼塚古墳は今回最初に訪ねた稲荷塚古墳(@大宮西高校)の近く(約300m南)だったが、途中でその存在に気付いたので円阿弥古墳まで行ってから1㎞ほどを戻った。
茶臼塚古墳は高さ3mの立派な墳丘。戻った甲斐があった。
墳丘の西側は鴨川に沿う低地。
上記の位置で、左(西)に視線を移したところ。古墳が大宮台地の西端の縁に築かれていることがわかる。
解説板あり。7世紀に築かれた径約30mの”形のよい”円墳。
大宮市指定文化財史跡
側ヵ谷戸古墳群 茶臼塚古墳
所在地:大宮市三橋4丁目502番地
指定:昭和32年3月6日
荒川流域の台地上には、数多くの古墳が築かれており、それぞれ群としてまとまって分布しています。
荒川の支流の一つである鴨川に面したここ三橋4丁目の台地上や自然堤防上にも、いくつかの古墳がまとまっており、側ヵ谷戸古墳群と呼んでいます。この古墳群は500年代から600年代にかけて築かれたものです。
現在、形の残っている古墳は稲荷塚・上之稲荷・台耕地稲荷塚とこの茶臼塚の四古墳ですが、石室が残されている山王山古墳や、墳丘が失われてしまった井刈・中郷古墳など、当初は数多くの古墳が築かれていました。
茶臼塚古墳は墳丘径約30m、墳丘高約3mの形のよい円墳で、600年代に築かれたものと思われます。
平成8年3月 大宮市教育委員会
稲荷塚古墳などを含む側ヵ谷戸古墳群は「大宮20景」に選ばれている。
https://www.city.saitama.jp/omiya/001/001/001/p022726.html
ロープの内側へは入れない。
敷地内には江戸期の石橋の石材も置かれていた。古墳群の名前は旧村名に由来するようだ。
中には入れないが墳丘の草が刈られ、その形がよくわかるようになっていた。
墳丘には太い松の木も。
別れ際に振り返って。
見ていて楽しくなる絵地図。すでに削平された古墳跡も記されていた。