墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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山王厳島神社(山王花清水公園)界隈 東京都大田区山王

前回のつづきの大田区山王4丁目。

スリバチ地形の底に弁天池があった。 

 

小島に渡って山王厳島神社に参拝。

 

場所はこちら。

 

池の北側に階段道が3本並行している。こちらのルートは見るだけに。

 

池の横の弁天池児童遊園にあった、馬込文士村の解説マップ、左が北。

 

室伏高信という文士が池の裏手に住まわれていたという。

弁天池の裏手に住んでいた 室伏高信(むろぶせこうしん:1892~1970)
小説家・評論家
「民衆活動」「民本主義」などで言論活動を、また「時事新報」「読売新聞」の記者を経て文明評論家としての活動を始め、一時青年層からの強い支持を得た。主な著書は「文明の没落」「土に還る」「日本論」など。

原稿かきはローソク灯に限る
行きつけの銀座の酒場や文学青年たちの間では「パパ」の呼び名で通っていた人気作家の室伏高信。高信は弁天池近くの家を仕事場にしていて、徹夜で執筆ということがよくありました。
あるとき「集金人が横柄な口のききかたをした」といって電気代を支払わなかったために、電気を止められてしまいました。
「電気よりローソクの方が自然に近い。光もやわらかで目のためにもいい。もう、電気とは一生縁切りだ」というわけで手伝いの青年はローソク集めに奔走する羽目になりました。
~室伏家はなかなか明るくならなかった。一門の青年たちが集まって、パパの意地っぱりに声援をおくるために徹夜で飲んだという話も聞いた~と闘志はゆるがなかったようです。
参考文献 榊山潤「馬込文士村」

 

モクレンが咲く季節だった。

 

隣接する山王花清水公園には冠木門が(夜は閉鎖)

 

その一画では、今でも水が湧く。 

 

公園南側の斜面。

 

斜面に上がって北側を振り返る。桜が咲く直前。

柵は洋館のバルコニーのような意匠だった。

 

東側の眺め。 

 

厳島神社側へ戻って、公園の南西に見えた階段に誘われる。

 

細道で、なかなか長く、カーブもある。

 

途中の分岐。

 

さらに上へ。

 

振り返って眺めを楽しむ。

 

西側に開けた眺望も。 

 

最後の登り。

 

最上部には風情のある平屋の日本家屋が。

 

その隣地は更地になっていた。

 

その先で東に下る細道。

 

緩く長く続く。

 

斜面に沿うので気持ちよい。

 

ちょっと荒れ気味の小道も。

 

その先の坂道はなかなかの傾斜。

 

真ん中に階段が”掘られるほどの傾斜。

 

上から振り返った眺め。 

 

角を曲がるとさらなる眺望ポイントが。

 

ジェットコースター級では。

 

最初の踊り場から。

 

降りてから見上げた階段道。