今年の5月に朝夷奈切通を歩いた際に知った、バス通り沿いに門のある一条恵観(いちじょう えかん)山荘。 そのときは開門前だった。
月に数回、建物見学コースが設定されているので、旧華頂宮邸の公開日に合わせて10月5日に予約していた。
門の前にある説明板(写真は5月のもの)
一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう)
江戸時代初期の寛永年間から正保年間にかけて、皇族の一条恵観の別邸として京都西賀茂に創建された茶屋である。戦後、鎌倉に移され、国指定の重要文化財となった。江戸初期の朝廷文化を今に伝える建物として、京都の「桂離宮」に並ぶ貴重な遺構である。
その外観は田舎家風であるが、茅葺屋根の内側には杮葺の屋根が葺かれ、自然の形を活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で自然を愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており、一部は茶人の金森宗和の好みと伝わる。一条恵観(1605~1672)
江戸時代初期の皇卿。後陽成天皇の第九皇子。五摂家のひとつ一条家の養子となる。名は兼遐(かねとう)と称し、のちに昭良(あきよし)と改める。
摂政・関白を二度ずつ務め、兄である後水尾上皇を支えた。後年、落飾して智徳院恵観となる。
和歌をはじめ書や茶の湯に長け、能楽や絵画、立花、香など数々の文化芸能に精通し、建築の知識にも優れており、自ら山荘の造作について全て指示したという。
茶の湯については金森宗和に学び、山荘と庭園造営に際しては助言を得ていた。
公式サイトによれば当山荘は、恵観の叔父の八条宮智仁親王が建てた桂離宮や、恵観の兄の後水尾天皇が造営した修学院離宮と同時代の建物とのこと。
https://ekan-sanso.jp/profile/
入園料500円と建物見学参加費1000円を納めて敷地内へ。月火の休園日以外は庭園見学とカフェ利用ができる。
庭木の先に山荘建物。
回り込むと近づくこともできた。
移築した際に復元された御幸門をくぐって山荘へ。
手入れの行き届いた苔の庭はとても美しく。
中へ入る前に注意点の説明。繊細な建物なので、バッグは玄関に置く、建具や調度品に手を触れない、撮影可だがフラッシュ禁止等々。
茅葺の下に杮葺きが隠れている屋根。
解説は能楽師の川野さん。よく通る朗々とした声で、丁寧にわかりやすく解説していただき、この解説を生で聞くことに価値があったと思いました。
玄関入ってすぐの三畳間には人形浄瑠璃の杉戸絵が。六体が描かれている。
鳳凰が描かれる手前の横壁の裏で、一体につき一人の人形師が下から操っている。
間近で拝見できたが、非常に細かく丁寧に描かれていた。
ひとつひとつ部屋を進むごとに、造りがグレードアップする変化も味わえる。障子の貼り方も繊細。
十数人でのグループ見学なので各部屋で密になって話を伺ったが、その流れにもエンタテインメント性があって楽しめた。
向こうの部屋に壁沿いに炉が3つあるのは、煙道を通って上の棚の茶器が暖められるという趣向。恵観さんの心憎い演出。
当時からの小箪笥。引き戸の波模様は片方が赤、片方が青で、場のハレとケによって上下を入れ替えていたそうだ。
部屋の格が上がると、畳のヘリも変わる。
玄関から入って左最奥の間で、最も格式が上がる。
この日の掛け軸は恵観直筆の歌だった(と記憶)
その部屋の天井の竿縁。床の間側に枝分かれしたものが使われているのは目を惹く仕掛けになっている。
隣部屋との間の小窓。
その部屋の杉戸絵には屏風が描かれる。
杉戸絵側から振り返った小窓。
床の間のある部屋の一つ前の部屋の竿縁も、庭に面した側の一本が少し曲がった天然の形。
襖を開けると庭の眺めが拡がった。
明暗の差がほど良く、庭の緑がとても鮮やかに感じられた。
この畳の縁側にも杉戸絵がある。描かれているのは花。
右の柱はオリジナル。山荘は移築前の長い間に野ざらしになっていたそうで、大掛かりな修復が必要だったそうだが、それでも柱や梁や天井、建具や板絵など、よく残っている。
池坊家との関わりがあり、同家には同じ花器が残っているそう。修築オープンの際には、その花器に花が飾られたとのこと。
最後に縁側からの眺めをもう一度。
山荘を出て庭を降りていくと滑川。朝夷奈(朝比奈)の切通しのほうからの流れ。
川底の岩盤が露出。
振り返ってのカフェ。敷地は広くはないけれど、見どころが凝縮されています。
充実したひと時を楽しめました。おすすめです(人気が高まり過ぎる前に…)
建物見学は要予約・先着順。