東高根遺跡からは北西へ。地図上で気になった「五所塚」を目指した。
東名高速の高架をくぐって 進む。
途中にあった等覚院(とうがくいん)の仁王門。
軒下の組み物に目を奪われる。
本堂へはさらに石段を登る。
鎌倉時代の薬師如来座像がおられます。
等覚院の文化財
当院は、天台宗に属しています。
当院所蔵の木造薬師如来座像は、寄木造、玉眼嵌入で、手を施無畏・与願印に結び、左手掌上に薬壺をのせています。
低めの頭髪部、整った顔立ち、複雑な衣の襞などに宋元風の特色がよくあらわれており、豊かな量感や柔軟な彫技から、鎌倉時代後期の制作と考えられています。
川崎市教育委員会は、この仏像を、昭和60年12月24日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。
昭和61年10月 川崎市教育委員会
参道脇に、手入れの行き届いた枯山水庭園。
本堂へ。
軒下は彫り物が見事。
「昇堂して御参詣ください」とあったので、扉を開けて中へ入ると、脇に大きなお不動様がおられてとても驚いた。
石段の上から見た仁王門。
山門前の斜面は一面つつじ。公式サイトに四季折々の写真が掲載されている。
https://www.tougakuin.jp/shiki/index.html
等覚院を出て、西側の住宅地から斜面を登る。
玄関まで3階分は登る感じだが、窓からの眺めは良さそうな住宅群。
その先に、台地上との連絡路があった。
角を曲がると頭上にみかん。
さらに続く階段。
ここで振り返ると、なかなかの眺め。左の高架は東名高速。
最後の登り。
そこから振り返って。
台地上には桜並木。
その下に、塚が五つも整然と並ぶ、五所塚第一公園があった。
それぞれ柵で保護されている。
一番南の一基。
表面にはスミレが。
南から2番目の一基。
南から3番目の一基。
4番目の一基。
そこには説明板があった。
外観は円墳に似てるが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた塚であると考えられるそうだ。
五所塚と権現台遺跡
五所塚は、直径4m・高さ2m前後の5つの塚が南北に並んでいることから、地元では古くからこう呼ばれてきました。外観は古墳時代の円墳に似ていますが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚と同様の、民間信仰に基づく塚であると考えられています。
この五所塚から長尾神社境内につづく舌状台地上の平坦部は、権現台遺跡と呼ばれる縄文時代中・後期の集落跡です。昭和33年(1958)に実施された発掘調査では、竪穴住居跡4軒、炉跡2基、配石遺構1基が発見されました。なかでも、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した2本の石棒や据えられ、狩猟にまつわる祭りを行ったと思われる縄文後期の配石遺構は重要な発見でした。
ここ五所塚第一公園には、地上に中・近世の信仰塚が、地下には狩猟祭祀をした縄文時代のムラの跡が重複しているのです。
平成4年3月 川崎市教育委員会
縄文期の竪穴住居跡もあって、長期間にわたって人が拠点としてきた場所だった。
5番目の一基を北側から。
川崎市教育委員会のサイトにも解説がある。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000089.html
さらに深く詳細な解説は、michikusa520さんのサイトに。
http://michikusa520.blog.fc2.com/blog-entry-131.html
五所塚を見守るような大きな桜は満開直前。
桜の根元に公園の看板。ちなみに第二公園は台地下の住宅地にあるが塚はない。
その北側には長尾神社。
毎年1月7日に「射的祭」が行われるそう。
参道は東西方向。鳥居の先は東。右に五所塚。
ちなみにグーグルアースを見ると長尾神社北の森の中に、別世界のような洋館が認識できる。
神社からは西側に降りて、「切通し上」のバス停を目指した。