墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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赤羽スリバチ探訪ツアー(その2)真正寺坂~稲付香取神社

前回からのツアーのつづきです。 

和菓子屋さんの横を通っていくと階段道が。

 

下から見上げた階段。 

 

降りた道も坂でした。

 

民家の間から普門院の仏塔。

 

下った先の、坂名標柱。 

真正寺坂
岩槻街道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻街道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人々は縁起をかついて「しんしょう昇る」といって登ったそうです。

 

後日、再訪した真正寺坂。

 

上記の位置から上り方向。

 

少し上って振り返って。

 

その位置からも上りが続く。

 

途中、民家へ続く階段。右のほうは時代が感じられました。

 

上りきった左手に、石の蔵(消防施設?)がありました。

 

再びツアーの続きを。

真正寺坂下から一旦岩槻街道に出て、再び台地裾に沿った道をゆるく上りました。

 

その先の右手に香取神社への石段参道が。

 

登った先の鳥居と幟。

 

お祭りで大変な賑わいでした。ちょっとびっくり。

 

かき氷には行列が。

 

境内からは見事な眺望がありました。

 

パノラマで。

 

上記の右(西)側、向かいの台地上の緑は「稲付公園」

 

説明板によれば、香取神社は旧稲付村の鎮守で、江戸期には東叡山寛永寺領に属し、本殿は上野東照宮内陣を移築したものと地元では伝えられているそうです。

北区台帳登載文化財(有形文化財 建造物)
香取神社本殿
北区赤羽西2-22-7 香取神社境内
香取神社本殿は、境内東側に位置する拝殿の後ろに設けられた本殿覆屋の中に安置されています。朱塗りの三間社流造で、屋根は杮葺きです。石の亀腹の上に土台が据えられ、その上に高さ約10尺、奥行き約8.3尺の社殿が建てられています。
香取神社は、経津主神・大山咋神・建御名方神を祭神としています。「新編武蔵風土記稿」には、「村の鎮守とす。長二尺六寸許の石を神体となせり」と記述され、旧稲付村の鎮守でした。稲付村は17世紀半ばの郷帳(武蔵田園簿)に「御神領」と記され、東叡山寛永寺領に属していました。また、当社とも関係の深い法真寺(赤羽2丁目)の開山證道院日寿は、東照宮の造営にも深く関与した南光坊天海の弟だったとも言われています。このため、香取神社の本殿は、この近辺で暮らす人びとに、上野東照宮の本殿(内陣)を移築したものだと古くから信じられています。上野東照宮の本殿とは、、徳川将軍家が東叡山寛永寺を造営した際に藤堂高虎(津藩初代藩主)が建てたもので、その事業には徳川御三家が協力し、寛永4年(1627)に落成したことが知られています。
平成24年3月 東京都北区教育委員会

 つづく。