墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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観音山古墳(再訪) 群馬県高崎市綿貫町

前回のつづき。

博物館で見た埴輪が元々並び立っていた墳丘を確認するために、綿貫観音山古墳を訪ねた。


途中でいくつかの墳丘を見た後に、目的地に到着。 

 

きれいに整備された国史跡。グーグルアースでも鍵穴形が明瞭にわかる。 

 

広い周堀を渡って後円部へ。

 

階段脇には埴輪についての詳しい解説板。

観音山古墳の埴輪
古墳の多い群馬県には、すぐれた埴輪がたくさん知られています。
なかでも、この観音山古墳からは、造形的にもりっぱなものが多く発見されていることで有名です。
墳丘の頂上部には、後円部に円筒列で囲んだ中に家・盾・にわとり・大刀、前方部にも家や盾など、ここに葬られた豪族の安住の館を表現したともいわれる埴輪が置かれていました。
中段の平坦面には、石室の入口付近に、祭りを行う一組の盛装した男女とその従者と考えられる三人童女・弓を負う武人・食物を捧げる人からなる祭人グループ、それに続いて、盛装の男子・甲冑を着けた武人・鍬を負う農夫などの葬送儀式に加わる人々とそれを警護する盾持ち人が続き、前方部には地位や財力を表す飾馬と馬引きなど、古墳時代の人々の生活や風俗・習慣をうかがわせる埴輪が並べられていました。
これらの埴輪は、石室から発見された副葬品などとともに、群馬の森の県立歴史博物館で展示されています。

 

”テラス”を進むと、鍵のかかった横穴式石室入口がある。葬送の儀式を表したと考えられる埴輪群はこのあたりに配されていた。

 

石室前から前方部方向。

 

前方部墳頂から裾の向こう側。周堀を隔てて周堤があり、その向こうにもうひとつ堀が設けられている。

 

振り返っての後円部。

 

2013年の夏休み、家族で訪ねた時の写真。

周囲の風景はほとんど変わっていない。

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人間のほうは右端の長男が小3から中3になり、背丈は母や姉を越えてしまった。 

 

後円部へ移動して、後円部墳頂から前方部を。

 

6年前の写真には奥に榛名山が写っている。

前方部の延長線上とその右の工場建物はまだ存在しない。

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6年は、1500年を経てきた墳丘にとって一瞬だろうが、しっかり保護しないとその一瞬で無くなることもある。 末永く残ってほしい。

 

前方部左裾の中段から。左奥に後円部。

 

前方部先端を周堤側から。

 

前方部右裾側から。

 

側面からパノラマで。左が前方部、右が後円部。

 

石室見学は前回は要予約で、今回は予約を忘れていたのであきらめかけていたが駐車場脇の管理事務所で聞くと、住所と名前を書けばOKとのこと。あとで公式サイトを見ると、今は毎日見学可(個人は予約不要)となっていた。

https://www.pref.gunma.jp/03/x4510004.html

 

鍵をあけていただいて中へ。

 

石室の解説は入口そばに。

観音山古墳の石室
大きさ 玄室長 8.25m 玄室幅 3.85m
全長 12.5m 羨道長 4.25m 羨道幅2.48m
壁面は、角閃石安山岩の5面を加工した約30~40cmの切石を積み上げています。一部にL字型の切込みがあり、精密な技術がうかがえます。
天井石は、牛伏砂岩の自然石を用い、その最大のものは重さが約22トンもあります。

 

側壁も奥壁も、高度に仕上げられた切石積み。

 

実に見事。こんなに大きな石室が盗掘に遭わずに残っていたとは。

副葬品は前出の博物館に常設されている。 

 

奥壁前から入口側。

 

フラッシュで。中型の切石との対比で、天井石の巨大さが強調される。

 

石の表面はノミなどで平坦に削られている。

 

羨道部分。側壁の石は玄室のような切石ではない。

 

もう一度振り返って。

堪能させていただきました。

 

下記は公園入口の解説より。

石室の中には、死者が生前に使用していたものなどたくさんの品々がおさめられていました。
遺体は長い間に腐ってしまい、ごく少量の骨片と歯がみつかっただけでしたが、右側の壁の下には、鏡や玉、耳飾り、そして刀や帯など、祭りの道具や権威を示す品物が置かれ、左壁の下にはよろい、冑をはじめ武具。武器類が置かれていました。
これらの副葬品の中には、奈良県の藤ノ木古墳や朝鮮半島の武寧王陵出土のものと類似するものもあり、最新の文化を積極的に取り入れた被葬者の姿を浮かび上がらせてくれます。

 

解説板右下端の周辺案内図。

 

すぐ脇のあずまやにも別の解説板。

史跡観音山古墳
史跡指定 昭和48年4月14日
所在地 高崎市綿貫町字観音山
群馬県の古墳時代後期の代表的前方後円墳である。
墳丘は、前方部を北北西に向け、全長97m、前方部幅64m、高さ9m、後円部直径61m、高さ9.5mの規模です。すべて盛土で築かれている。中段部と墳頂部に埴輪の配列がある。
周堀は二重にめぐり、内堀と外堀は中堤で区分される。全長178m、幅143mほどである。
石室は、後円部に築かれた巨大な横穴式石室で南西に開口する。壁面は榛名山二ツ岳噴出の角閃安山岩の切石を積み上げ、天井石は吉井町産出の牛臥砂岩が用いられている。
なお、出土品は県立歴史博物館に展示されている。
昭和56年3月 文化庁 群馬県教育委員会

 

帰路は不動山古墳の近くの停留所(綿貫団地南)からバスを利用(一時間に0~1本)

バス停に南(上記の左)側が「量子科学技術研究開発機構」で、岩鼻二子山古墳の跡地がある。

 

倉賀野駅に到着。歩くと40分なので助かった。

 

載ってきたバスは高崎駅へ。

 

駅にあった周辺図。近くには国史跡の大鶴巻古墳(全長123m)や浅間山古墳(同171.5m)がある。こちらも折をみて再訪したい。

 

電車待ちの時間があったので跨線橋を渡ってみた。一段上がっているのは特殊な車両が留め置かれていたのか?

 

駅前自転車置き場脇に、気になる土盛り(?)が。

 

一応、群馬県古墳総覧を参照しましたが古墳の印は無かったです。