墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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群馬県立歴史博物館 常設展示室 群馬県高崎市綿貫町

前回のつづき

企画展を堪能した後は常設展示室へ向かったが、こちらの展示も実に素晴らしかった。

群馬県の歴史や文化について、原始・古代・中世・近世・近現代の時代ごとに部屋を分け、豊富な資料と模型・映像で学べる仕組みになっている。

入ってすぐの「東国古墳文化展示室」では、当地の1㎞北に所在する綿貫観音山古墳の埴輪や盗掘されずに残った豊かな副葬品が見られる。


綿貫観音山古墳の縮小模型。

墳丘に立ち並ぶ埴輪群像
観音山古墳(高崎市)は、墳丘長97mの大型の前方後円墳です。二段に築かれた墳丘の平坦部分には、600本を超える円筒埴輪や、人物・馬・器材(武器・武具)・家などをかたどった埴輪が並べられていました。この埴輪群像は、古墳に葬られた豪族が生前に行っていた儀式の場面や、所有していた品々を表していると考えられます。6世紀の上毛野地域における埴輪の樹立は、全国的に見ても盛んでした。観音山古墳の埴輪群像は、優れた造形や構成内容から、この時期を代表する例といえます。 

 

中段テラスに馬形埴輪が見える。

 

埴輪は低反射のガラスケースに。

壮観!

 

結構大きくて迫力がある。

 

ここへ来るのは2度目だが、6年前の前回は三人の女性が並ぶ埴輪は“お出かけ中”で見られなかったと記憶している。

解説には「祭礼場面」とあった。

埴輪群像(祭礼場面)
横穴式石室の開口部左側に置かれた人物埴輪の一群です。祭礼(儀式)の場面を表していると考えられます。
あぐらの男子は、正座する女子と対面して置かれ、二人とも手を合わせる仕草をしています。皮袋の容器を持つ女子は、正座の女子の背後に立っていました。台座に正座する小柄な三人の女子は、そのかたわらで弦楽器をつま弾くような仕草をしています。あぐら男子の背後には、あたかも警護するかのように靫(矢筒)を背負い、弓を携えた男子が配置されていました。
あぐらの男子人物は、腰の鈴付太帯(石室から実物が出土)などの表現から、この中での中心的な人物とみられ、埴輪群は生前もしくは死後の祭礼の場面を表していると考えられます。

 

 次に続くのは「参列場面」

埴輪群像(参列場面)
祭礼を表す埴輪群の北側には、これらの人物埴輪の列が続きます。南から順に振り分け髪で盛装をした男子、甲冑で武装する男子、肩に鍬をかつぐ男子、そして盾持ち人が並び、いずれも墳丘に背を向け、外側を向いた状態で置かれていました。
振り分け髪の男子は身なりや鈴付太帯の表現などから、又武装する男子は冑の形などから、それぞれ被葬者である豪族を表現していると考えられます。これらは人物埴輪としては最大級であり、身なりも装飾的であることから、豪族の権威を視覚的い表現していたともいわれています。またその配置場所から、祭礼への参列を表したとみる説もあります。 

 

振り分け髪の男子。

 

武装する男子。ウサギの耳のような飾りがキュート。

 

鍬をかつぐ人は撮りそびれ、盾持ち人と馬を曳く男子。

 

馬を曳く人と馬列。

埴輪群像(馬列)
祭礼の群や参列の場面に続き、馬形埴輪と馬曳きの男子埴輪からなる列が前方部中段面に配置されていました。馬はいずれも鼻先を後円部の人物埴輪群のほうに向けており、人物埴輪群と一連のものとして並べられていたと考えられます。すべてが馬具を装着した飾り馬を表現しており、大きさも馬形埴輪としては最大級にものが中心です。被葬者である豪族が所有していた馬の見事さを示す意味があったと考えられます。
一方、馬曳きの男子は身なりが質素であり、豪族に仕える人物を表現していたようです。手綱を引くために左手をあげるしぐさが表現され、さらに背中に馬の蹄を手入れするための鎌が表現されています。

 

たてがみが堂々とした馬たち。

 

墳頂には家形埴輪や器財埴輪が置かれていた。

埴輪群像(家や器財)
墳丘頂部では、これらの家形埴輪や器財埴輪(盾、靫、大刀など)、鶏形埴輪が見つかっています。
家形埴輪は、被葬者が生前好んだ居館や死者の霊の宿る所とする説があります。一方、盾、靫、大刀などの武器・武具の埴輪は、被葬者を護る役割を担っていたとみられます。鶏は動物の中でも最初に登場する種類であり、古墳時代には鶏が動物の中でも特に珍重されていたのではないかと推測されています。
家・器財・鶏は形象埴輪の中でも古墳時代前期からみられる種類であり、墳丘頂部の埴輪の組み合わせは、埴輪樹立の伝統的な形を受け継いでいると考えられます。

 

観音山古墳ではさらに、盗掘されなかった石室から見事な副葬品が見つかっている。

とてもゴージャスな馬飾り。

 

こちらも。

 

銅製水瓶も。中国北朝の北斉の貴族の墓から似た例が出土しているそうだ。

 

獣帯鏡も。

百済の武寧王陵の1例や滋賀県・三上山下古墳の2例と、直径・図像がほぼ同じだそう。

 

大刀や冑も。

 

突起付き冑は極めて出土例が少ないが、福島県・渕の上古墳に1例があり、近年は朝鮮半島で類例が確認されているとのこと。

 

金銅製の太帯は、他には前橋市・山王金冠塚古墳や奈良県・藤ノ木古墳に出土例があるが、鈴が付くのは観音山古墳が唯一例になるそう。

 

その先の常設展示室も各時代、量質ともに大変充実。

古墳時代のコーナーにはお富士山古墳の石棺レプリカがあった。

 

上毛三碑のレプリカ。

 

近代では富岡製糸場のジオラマ。

 

近代産業では地元のスバル。