墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

江別古墳群 北海道江別市元江別

モエレ沼公園を見学した後は、東に直線距離で7㎞ほど、 石狩川の左岸に立地する江別(えべつ)古墳群へ向かった。

 

古墳群への入口は、道道110号と128号の交差点の南東角にある。交通量の多い道で停車はできないが、128号に沿った300mほど北西の、江別市リサイクルバンクが見学者向けの駐車場となっている。

 

車を停めて歩道を戻って行く途中で、石狩川の支流・世田豊平川を渡る。左が古墳群のある台地。

 

交差点へは上り坂。

 

交差点にある説明板。北海道に唯一残る古墳で、国史跡に指定されている。

国指定史跡「江別古墳群」
平成10年9月11日指定
古墳文化の終末西暦7世紀頃、東北地方北部を中心に「群衆墳」と呼ばれる古墳群が造られるようになります。この群衆墳は、大和政権下にあった東北南部との接触交流により、東北北部に成立した独自の墓制と考えられます。群衆墳は9世紀頃まで受け継がれ、北海道にも波及しました。
北海道の群衆墳は、石狩川支流域の3ヶ所(江別2・恵庭1)で確認されていますが、現存するのはこの江別古墳群だけで、8世紀後半から9世紀にかけて造られたと考えられています。
江別古墳群は昭和6年に後藤寿一によって発見され、その後、昭和55年の調査で古墳21基を確認、現在18基が旧豊平川を見下ろす丘陵上に残っています。
古墳は直径3~10m、環状または馬蹄形状の周溝がめぐり、中央部に周溝から掘り上げた高さ約1mの盛土で墳丘を築いています。さらに墳丘中央を掘り下げ木棺をじかに埋葬したものと思われ、蕨手刀、毛抜形刀、鉄製刀子、耳環、勾玉など本州からの搬入品を副葬しています。このことから、古墳の被葬者は当時の律令体制下にあった地域と深く関わった人々と考えられます。
江別古墳群は群衆墳の最も北に位置し、北海道に現存する唯一の古墳群として、また当時の北海道と律令支配のおよんだ地域との交流を考える上で極めて重要な遺跡として国の史跡に指定されています。
平成10年11月 江別市教育委員会
資料は江別市郷土資料課で展示しています。

 

ワクワクしながら説明板脇の階段を上がる。妻も、父も、息子も一緒に。

 

整備された道を進んでいくと…

 

林が開けた場所に出た。

 

パノラマでも。

 

草はそれほど繁っていないが、地表の起伏はわからなかった。

 

ここで道は無くなった。正面の草むらが墳丘であるか否かは確認できず。

 

そこから振り返って。

 

あの草むらも怪しいが…

 

古墳探訪の面白さを父や息子に現地で伝えたかったが、ここでは難しかった…

 

説明板にあった写真では、可愛らしい円墳の形が写っていたが…

 

同じ写真が下記のサイトにあり、そのキャプションは「復元した古墳(左の3基は消失)」とあった。

http://www.jomon-town.org/site/%E6%B1%9F%E5%88%A5%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4/

 

おそらく左上から右下にかけての帯状に整地された場所に道道110号が通り、右側に密集する円墳のいくつかが残っているのだろう。

できれば墳丘があったその場所に、位置を示していただければありがたいと思います。

 

江別市郷土資料館へ行かなかったのが心残りでしたが偶然にも、天城高原様の昨日のブログで詳しく取り上げられていていたのでご興味のある方はぜひ(心残り加減は増幅しましたが…)

http://bitterharvest.hatenablog.com/entry/2019/08/25/120547