墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

真野古墳群 A地区(後編) 福島県南相馬市鹿島区寺内大谷

A地区20号墳の前にあった案内図。

iphoneで撮ったこの地図を頼りに周囲を巡った。 番号を探し回るのは楽しいものだが、このときには「まだこんなにあるの」という気持ちも芽生えていた。

 

まずは県道の南側の27号墳へ。 

 

一応近寄って標柱番号を確かめた。「27号墳」

 

県道に戻って今度は北へ。左に平行する道に見えた墳丘は後で訪ねた「49号墳」

歩いている道沿いにあるはずの「32号墳」「37号墳」「40号墳」はわからなかった。

 

そのまま道を回り込んだ左側、民家の敷地には「41号墳」か。

 

道のその先に古墳の香り。

 

白い標柱があった。

 

「59号墳」は、なかなか大きな墳丘。

 

隣の「57号墳」は墳丘が見当たらなかった。

 

 左が「59号墳」、右が「57号墳」

 

そのすぐ西側にも標柱が3つ。手前は「64号墳」

 

その右に「62号墳」 

 

奥に「63号墳」 草が濡れていたのでズームで。

 

台地下に降りて、120号・121号墳を探すがわからなかった。一本手前の道であきらめてしまったようだ。

近くには、見事な屋敷林に囲まれたお宅があった。

 

台地側に戻る道から59号墳方向(中央の木の下)

 

そこから舗装道を南に戻る途中に、錆びだらけの標柱。 

 

片面はきれいで「53号墳」

 

その先には復元された「49号墳」

 

県道に戻り、看板にあった案内図を頼りに枝道に入って70・74号墳を探す。

 

突き当りの草むらが古墳のようだが、標柱は無く…

 

一応もう一本西の枝道にも入ってみた。

 

すると、前方に標柱が!

 

復元された「74号墳」

 

可愛らしい墳丘。

 

墳裾から台地下(北側)方向の眺め。

 

横の道路は切通しで築かれている。 

 

振り返ると階段が。

 

看板をよく見れば古墳と古墳人が描かれていた。

 

その先に、緩やかな土盛りと標柱が。

 

「70号墳」

 

墳丘の前は広場になっていた。

 

雨の中を歩き回り、靴は中まで濡れてしまっていた。

この後、20号墳の近くにあった居酒屋”なべちゃん”でラーメンを食して生き返ったが、その後に2km近く西のB地区へ向かう体力は残っておらず、ここで探訪終了とした。

 

後で調べていたら南相馬市教育委員会作成による詳細なマップ(パンフ)がネット上にあった。探訪の際の必需品かと思います。

 https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/43/manokofunn-mappu.pdf

 

なべちゃんから鹿島駅までの1.5㎞・約20分は歩きました。

県道の坂を下り、真野川にかかる橋の手前で振り返って。坂上の台地に古墳群。

 

橋から真野川上流方向。1.7㎞の正面に横手古墳群がある。

 

下流方向。5㎞ほど下れば太平洋。海と川を伝ってやってきた人々が真野古墳群や横手古墳群を築いたのでしょう。

 

県道が交わる交差点。

 

県道・浪江鹿島線には昭和モダンな構えの店が残っていた。

 

駅に近づいたところで目に入った和洋菓子店ゑびす屋さんが気になったので入店。オリジナルな美味しいお菓子があったので、おみやげに購入した。

 

たどり着いた鹿島駅

 

再び車窓からの横手古墳群。次回は稲の黄色と空の青に挟まれた墳丘群を撮りたい。

 

常磐線をしばらく北上し、東北本線と合流した先の館腰駅あたりで、左(西)側に雷神山古墳が立地する丘が見える。

訪ねてから5年が経ってしまった。 

 

続く北の丘には飯野坂古墳群が所在する。未探訪なので近々訪ねたいが…