墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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真野古墳群 A地区(前編) 福島県南相馬市鹿島区寺内大谷

前回の男山八幡神社の西側に真野古墳群A支群がある。

グーグルマップに”古墳”と入れると、7号墳、20号墳、49号墳がヒットした。

 

県道を歩いていて最初に目に入ったのはこちら。

標柱も何も無かったがエントリをしている今、OBITO様のサイトを見ていてこれが4号墳とわかってうれしくなった。

http://obito1.web.fc2.com/minamisoumamanoa.html

 

その先の道路脇には標柱のある一基。

 

「史跡真野古墳群A地区 7号墳 昭和54年10月20日指定」と書かれた立派な標柱がある。

 

そこから南に入ると「8号墳」

 

 

すぐ隣には「9号墳」

 

その南にも、よく見ると標柱が。

 

そこには「11号墳」と記されていた。

 

さらに南、林の近くにも標柱が。 

 

草を倒すと「12号墳」と。土盛りは草の中でわからなかった。

林の中にもあるようだったが、草丈が高く雨も降っていたので深入りせず。

 

12号墳から振り返って。手前に11号墳、奥に9号墳が見えている。

 

このあたりは住宅地(大谷地住宅)として開発されていた。

 

その昔には墳丘もあっただろうが、住宅も一部は無くなっていた。

 

県道側に戻って行くと、割と大きな土盛りが。 

 

県道側に回ると、土盛りはバス停「寺内」の真後ろ。

 

そこは「20号墳」で、前方後円墳だった。

 

古墳群全体の詳細な解説板もあった。

名称:史跡真野古墳群A地区
指定年月日:昭和54年10月24日
説明事項:
こお古墳群は、およそ1400年前に、この地方を支配していた豪族のお墓です。現鹿島区一帯は、当時古墳文化の大へん栄えた地域で、古墳の数も多いことで有名です。真野地区古墳群はA地区(寺内字八幡林、大谷地にあった94基の円墳と前方後円墳2基で、現存する古墳26基)とB地区(小池字長沼にあった20基で、現存古墳11基)にわけられます。小型ながらも東北地方の代表的群集墳と言うことができます。昭和22年以降4回にわたり調査しました結果、古墳の主体部は自然石や礫を用いて箱形石棺や礫槨をつくり、この中に豪族の遺体や武器、武具、馬具、玉類などが埋葬されていることがわかりました。特に第20号前方後円墳から出土した金銅製魚袋金具は全国でも数例しかない貴重なもので、県指定重要文化財となっています。ふるさとを愛し育てるために、わたしたちの祖先の遺産である文化財を大切にすることが、未来を豊かに生きるための基となるものです。「豊かな文化をもつふるさと鹿島区」を築くためにも、文化財を愛する心をもちたいものです。
注意:現状を損壊しないこと。
文化庁、福島県教育委員会、南相馬市

 

なんと6月に「発掘された日本列島2019」で見た、大変見事な金銅製双魚佩(はい:waist ornament)が出土した古墳であった。

 

真野古墳群の解説は、文化遺産オンラインにもあった。

当古墳群は「前方後円墳と円墳多数により形成される後期の古墳群のあり方の地域的一典型として、また東北地方における大規模かつ著名な古墳群として、出土品ともども注目される重要なもの」で、埋葬部は礫槨・箱式石棺・竪穴式状石室など変化に富み、出土品には直刀・馬具・玉類など古墳時代後期に属するものが多いが石製模造品など若干中期に遡るものもある、のだそうだ。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/137814/1

つづく。