墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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桜井古墳(桜井古墳群1号墳) 福島県南相馬市原町区上渋佐原畑

6月下旬の、大人の休日倶楽部パス利用旅、最終日は日帰りで福島県南相馬市の古墳を訪ねた。 

はやぶさ1号で仙台へ、そこから常磐線の原ノ町行きに乗って終点まで向かう。 あいにくの雨模様。

 

原ノ町駅到着は9:36。東京駅から約3時間。

 

毎年7月第4土日月で開催される、相馬野馬追(そうまのまおい)で有名な場所。

 

乗ってきた電車は仙台への折り返しとなった。左のホームには浪江行き。

来年3月に富岡~浪江間(約20km)が9年ぶりに復旧され、常磐線の全線再開となるそうだ。東京エリアから仙台までの特急も復活するとのこと。大変喜ばしいことです。

 https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190709.pdftml

 

国史跡・桜井古墳は原ノ町駅から徒歩約30分。新田川の右岸を東へ向かう。

 

タクシー乗り場はあったが車は無かったので歩くことに。まず跨線橋を渡って駅の東側へ。留置線の多い駅だった。

 

国道6号を渡ったところに看板発見。

 

台地の縁まで来ると、あともう少し。

 

道沿いに「高見町A遺跡」の標柱があった(解説文が途中で切れてしまった)

この付近一帯は弥生時代及び古墳時代の集落跡で、国史跡桜井古墳と関わりのある古墳が多数存在して(いました?)

 

砂利道を上がっていく。

 

上は畑。

 

一部には太陽光パネル。現地解説板は無く、来た道を下へ降りた。

 

進んでいくと、左手に立派な駐車場と管理棟が。

 

道の右手には古墳へのアプローチ。

 

入口の案内板。

国史跡 桜井古墳公園案内
国指定史跡桜井古墳を中心とする古墳群を保存し、市民が親しみやすく利用できる公園とするために古墳の復元などの整備を行いました。

国指定桜井古墳
指定年月日:昭和31年(1956)11月7日
追加指定:昭和63年(1988)6月13日
所在地:原町市上渋佐字原畑66-1外
面積:8,285.54㎡
形状:前方後方墳(長さ74.5m、高さ6.8m)
指定理由:古墳時代前期の築造で、東北地方では出現期の古墳であることと、当時、前方後方墳の発見例は全国で20数例のみで、国内最北・東北地方最大の前方後方墳として国の史跡に指定されました。

市指定史跡 桜井古墳群上渋佐7号墳
指定年月日:平成12年(2002)2月1日
所在地:原町市上渋佐字原畑73外
面積:3,083㎡
形状:方墳(一辺27.5m、高さ3.3m)
指定理由:古墳時代前期の築造で、東北地方では出現期の大型古墳であること、東北地方では出土例の少ない銅鏡が出土したことなどから、市の史跡に指定されました。

 

長軸を東西に向ける。端正な形に復元されている。上が南。

 

その後1991年に全長83mの大安場古墳が発見されて「東北地方最大の前方後方墳」の座は譲られた。

 

アプローチを上がっていくと、林の中にも墳丘?

 

ひとつは野馬土手。

 

江戸時代寛文6年(1666)から3年かけて、原ノ町市街地を「どっぷり包み込む広さ」の牧の周囲にが土手が築かれたのだそう。

 

もうひとつは古墳であった。 

 

桜井古墳群2号墳。

2号墳
遺構:直径20m・高さ2mの円墳です。墳丘の裾には周溝が巡っています。墳頂部の直下に設けられた埋葬施設は、後の時代に大きく破壊されましたが、墓壙は東西4.2m・南北1.1m・深さ0.9mと推定されます。中に納められた棺は、身と蓋の間に貼った帯状の白色粘土が断片的に残っていたことから、長さ3.6m・幅0.8mの割竹形木棺(丸太を縦割りにし、くりぬいた棺)だったと推定されます。
遺物:鉄剣破片(墓壙内出土)
年代:5世紀
調査年度:平成11年度(1999)

 

墳丘に上がらせていただいて、管理棟方向を望む。

 

木々の間から目の前に、1号墳(桜井古墳)が見える。

 

土壙墓の跡も。

 

1号土壙墓とあった。

1号土壙墓
遺構:墳丘も周溝もない埋葬施設だけの土壙墓です。墓壙は東西4m・南北1.7m・深さ1.3mで、ほぼ垂直に掘り込まれていました。棺は身と蓋の間に貼った帯状の白色粘土が残っていたこと、堆積土層などから、長さ3.1m・幅0.8mの割竹式木棺(丸太を縦割りにし、くりぬいた棺)だったことがわかりました。
遺物:刀子(棺内出土)
年代:6世紀

 

 いよいよ桜井古墳へ。

 

前方部裾にも説明板があった。 

国史跡桜井古墳
指定年月日:昭和31年(1956)11月7日
追加指定:昭和58年(1988)6月13日
指定面積:8,285.45㎡
墳丘規模:前方後方墳(前方部無段・後方部三段)
主軸長 74.5m
前方部規模 長さ29.5m・高さ3m・前端幅30m
後方部規模 東西幅45m・南北幅47m・高さ6.8m
調査年度:平成10~12年度(1998~2000)
出土遺物:底部穿孔二重口縁壺・器台
築造年代:4世紀後半
被葬者:4世紀末に新田川の生産力を背景に、北関東地方や東海・北陸地方と交流を行いながら、この地域を支配した首長と考えられます。

 

「底部穿孔二重口縁壺」の写真も。

桜井古墳は主軸長74.5m・高さ6.8mを測る大型の前方後方墳で、地山の削り出しと盛土によって造られています。後方部には墳丘が崩れるのを防ぐための段(段築)があり、後方部の頂上には底部穿孔二重口縁壺が並べられていました。
底部穿孔二重口縁壺
桜井古墳から出土した壺形土器です。土器の底には焼く前から孔が空けられていいることから、容器としてではなく古墳に供える目的で作られた土器です。

 

前方部に上がると見事な墳丘があった。目の前の後方部はピラミッドのような三段の姿。

 

パノラマで。正面が東。左が北。

 

振り返っての前方部裾。

 

前方部先端から北(左)方向。前方部上は先端に向かって上り傾斜になっている。

奥の横並びの木立が新田川。

 

鋭角なくびれ部と後方部の角。前方後方墳らしい箇所。

 

反対側のくびれ。

 

後方部上から前方部方向。

 

iphoneでも良く撮れた。

 

墳丘上に埋葬部の解説が。

桜井古墳群の埋葬施設
出土遺物:底部穿孔二重口縁壺・器台
調査年次:平成12年度(2000)
陥没坑の発見から、桜井古墳には2基の木棺が埋葬されていたことがわかりました。陸橋部から前方部・墓道を通って運ばれた棺は、後方部頂上の墓壙に安置されたと考えられます。埋葬された棺は割竹形木棺と考えられます。

写真左上
上空からみた桜井古墳
埋葬施設の発掘調査中の桜井古墳を上空から撮影しました。埋葬施設は右側の後方部の頂上にあります。
墓壙
棺を安置するための、竪穴状の大規模な掘り込み。東西14m・南北13m・深さ2m
墓道
後方部西斜面に造られた、棺を墓壙に運ぶための道。幅2m・長さ5m
陥没坑
木製の棺が朽ちたことによりできた窪み。棺は陥没坑の下に安置されています。
1号陥没坑 墓壙中央にできた棺の陥没 長さ7.0m・最大幅2.0m
2号陥没坑 墓壙北側にでいた棺の陥没 長さ4.5m・最大幅1.2m

 

写真部分の拡大。 

 

後方部上から北側をパノラマで。

 

アプリの方位磁針で後方部先端方向を。ほぼ東向き。

 

後方部先端側の階段を下りて振り返る。

 

後方部北側の裾から。右奥が前方部方向。

 

左が後方部、右が前方部。

 

パノラマで。

 

美しい! 

 

グーグルアースでも、明瞭な姿が見られる。