前々回の川越市立博物館の正面の道を100mほど南へ進むと川越城の本丸御殿。玄関と大広間を有する建物が元の位置に現存する。
横(南側)からみた玄関。
そこにあった全体図。今は左よりの本丸の下側、残っているのは、ほんの一部(「現在地」の右の黒い部分)
入館料は100円。靴を脱ぎビニール袋に入れて上がる。細長い建物の東側は天井の高い廊下が通る。左は座敷広間。
かつては幾重にも建物が連なっていたが、現存は赤枠部分のみ。右が北。上部に離れて建っていた家老詰所は移築されて玄関棟に隣接している。
築城時期は室町期の長禄元年(1457)、太田道真・道灌の父子が扇谷上杉持朝の命により後の本丸・二の丸あたりを築いたが、天文6年(1537)に小田原北条氏が占拠。上杉氏の奇襲(河越夜戦)にも勝ったが天正18年(1590)の秀吉関東攻め時に前田利家が陥落させた。
江戸時代、寛永16年(1639)に藩主・松平信綱が大幅に拡張したが、明治維新後は解体が進み建坪6分の1に縮小。現存する本丸御殿(大広間+玄関)は嘉永元年(1848)に藩主・松平斉典が造営したものだが、入間郡役所、煙草工場、中学校校舎などに使用されて今に残っている。(以下の公式サイトより)
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/history.html
廊下の突き当りからの枯山水。
西側の廊下も幅広だが天井は低くなる。
西側に突き出た部分と家老詰所。
家老詰所の縁側が休むのにいい場所になっていた。隣の川越高校グランドから野球部が練習する音がよく聞こえていた。
その詰所の平面図。
奥の部屋で合議する家老たちのマネキン。彼らの前には、川越藩が幕末の江戸湾警固の際に守備を命じられた二番台場の見取り図が置かれる。
一回りして最後に36畳の大広間へ上がる。
杉戸絵を描いたのは舩津蘭山という藩の御用絵師だそう。
外へ出て、長方形の建物の短辺を博物館側から見たところ。