墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

飯塚・招木古墳群 埼玉県秩父市寺尾

前々回の続き、和銅黒谷駅から西に回りこんで線路を渡って2車線道に出ると、「招木(まねき)古墳通り」のサインがあった。

 

荒川にかかる「和銅橋」を渡る。下流方向、奥は宝登山。 

 

渡った先には桜があった。 

 

そして道路脇には土盛りが。

 

場所はここ。

 

饅頭のように球面に復元されているのは、飯塚招木古墳群89号墳。89!

 

その説明板。

古墳復元について
復元古墳名:飯塚招木古墳群89号墳
古墳原位置:秩父市大字寺尾345番地・復元現地の北、約30m市道上。
1、発掘復元の事情:飯塚招木地区は国道への連絡がきわめて不便で、この地に道路を敷設することは地区発展にきわめて重要でした。しかし、たまたま古墳群所在地のため発掘調査を必要としたものです。
発掘調査に当り文化財保護と鎮魂の立場より後日復元の希望があり、今回実現をみたものであります。
2、復元古墳の規模・構造:復元された89号墳は市道道路敷にあった7基中の1基で、長・短径約11m、高さ2.5m、玄室長2.6m、羨道長2.4m、石材は羨道部は俗称真石(まいし)、玄室部は砂岩質の平石を用い持送り式、棺床礫を床にしき、閉塞施設は真石を積み上げています。
3、出土品:人骨片・土師・須恵器片・蔵骨器・鉄鏃・刀子等・僅かであります。
4、仕様:復元は原形を目標とし、破壊部分は推定復元を行った。この復元古墳によりこの地の古墳の形態・構造の大体を把握することが出来ます。この地の古墳は7世紀末から8世紀初頭の営造と推定されます。
昭和57年3月30にち 秩父市教育委員会

 

回り込むと開口部が。

 

施錠されているが、内部は格子の間から見学できる。

 

フラッシュで。室内高は2.5m。

 

背後には古墳群全体を説明する石碑。

埼玉県指定史跡 飯塚・招木古墳群
秩父市大字寺尾 昭和51年3月30日指定
荒川と尾田蒔丘陵の河岸段丘上にあり、南北約1300m、東西約400mの範囲に存在している。確認されている古墳は122基であるが、更に増加する可能性もある。
古墳の形態は、円墳が主体であるが、方墳が存在する可能性も残している。墳丘の大きさは、現状の直径5~27m、高さ1~4mぐらいで、大小に差が有り、大型の古墳の周囲に小古墳が集在するという分布形態をとっている。内部主体は、河原石や片岩類の板石で築かれた横穴式石室である。
本古墳群の築造年代は、7世紀から8世紀初めのものと考えられるが、群集墳としての形をこれほどよく残している古墳群は、県内ではめずらしく、秩父地方の古墳文化解明にとっても欠くことのできない貴重な存在である。
昭和54年3月1日 埼玉県教育委員会 秩父市教育委員会

 

現在の秩父市のサイトには古墳の数は129基とある。

http://www.city.chichibu.lg.jp/4390.html 

 

石碑の後ろから。すぐ先が和銅橋。

 

振り返ったところ。

 

道路沿いを西へ進むと、草地の中に墳丘が。

 

ズームすると、石室入口らしきものも。

 

その先で左に枝道を入る。

 

右手の雑木林に土盛りへの踏み跡があったので行ってみた。

 

墳頂には石室が開口していた。

 

横から。河原石を積んだ側壁。 

 

墳頂から見回すと、また別の墳丘が見えた。 

 

草を掻き分けて墳頂へ。

 

こちらでも石室天井が開口していた。

 

カメラだけ、低い位置から。 

 

道沿いの盛り上がりも墳丘に見えてくる。

 

墓地の後ろも墳丘のようだった。

 

開口部はなかったが、裾に石室材のような雰囲気の石が。

 

道沿いのこちらも。 

 

その先、グーグルマップに記されているあたりには、道の左右に墳丘があった。 

 

道が少し削ったか。

 

上記に上がらせていただいて、さらに奥の1基を。

 

振り返っての別の1基。奥に桜が。

 

同じ場所から道路の反対側を望むと、林の奥まで墳丘が。

 

道路寄りの1基。 

 

お墓を挟んで1基。

 

その墳頂部。開口した石室は、先の2基以外はわからなかった。

 

高さのある1基。

 

奥の藪にも1基。

 

さらに奥にも1基。

 

もっと奥にも1基。

 

さらに別の1基。

 

パノラマで。

 

こちらも背の高い1基。

 

そこに上がらせていただいて。

 

まだまだあったが、きりがないのできりあげた。

 

古墳群エリアの西端にも、先ほどと同じ石碑があった。

 

その先の満開の桜で振り返って。

 

元の復元古墳に戻って道路の対岸を。

 

その右手に小道があったので辿ってみる。 

 

路は祠に続いていたが、墳丘は分からなかった。 

 

こちらの方の探訪記の最終頁に古墳群の分布図があるが、ざっと見ただけでも百基ほど記されている。

http://www.ohoka-inst.com/iizukamaneki_kofungun.pdf

 

和銅橋を戻る。上流側に武甲山が見えた。 

 

秩父鉄道のガードをくぐって次の場所へ向かった。