墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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渋沢栄一に関連する施設~資料館・邸宅・煉瓦建物・煉瓦工場

もともと古墳を見に訪ねた飛鳥山であったり、煉瓦に惹かれて巡った深谷であったりでしたが、それらが渋沢栄一(1840~1931)とつながって、気づいたら10数回のエントリになっていました。せっかくなので、ニュースになっているこのタイミングでまとめてみました。 

もちろん、500超の企業設立、600超の教育機関や社会公共事業を支援した膨大な足跡の、ほんの一部分ですが。 

 

その業績に関して、わかりやすく情報が得られる場所が飛鳥山の渋沢資料館。


資料館の近くに残る2棟は、60歳くらいから晩年まで暮らした自邸(戦災で焼失)敷地に大正期に建てられた(贈呈された)もの。

 

埼玉県の深谷には生家や恩師(義兄)の家、記念館があって、豪農の実家で育った頃の環境を知ることができる。

 

深谷には、世田谷区瀬田から移築された喜寿祝い(from 第一銀行員)の建物もある。

隣には渋沢栄一の次の頭取の古希祝いに贈られた建物も。

 

東京駅に似た駅舎も見どころ。

 

本家はこちら。

 

その東京駅の煉瓦を製造した工場(渋沢栄一が設立)で、一つ残ったホフマン輪窯も深谷に現存する。

 

煉瓦建物に惹かれて訪ねた小平のガスミュージアムでも渋沢栄一の活躍を知った。

 

Wikipediaには、1万円札の肖像となるエピソードが即座に記載されていました。