円墳大塚古墳を見学した後は、東に350m(高低差では90m登る)に立地する、稲穂山古墳へ向かった。
国道140号バイパスの脇、美の山トンネル出口の南側に「ムクゲ自然公園」への入口がある。
入口横の案内図。中段右に「稲荷山古墳」の絵がある。
夏~秋の花の時期は入場料500円だが、春のこの時期は無料だった。
傾斜のきつい車道を上がっていると「案内所・森のアトリエ」がり、中では二名良日という作家のリース展「植物図鑑」が開催されていた。
冬に剪定した様々な種類の草花を利用して、大きなドーナツのような"草輪リース”がそこここに飾られ、椅子にもなっている。
オレンジは「みかんの皮」、その右は「タラヨウ」、その左下は「ロウバイ」
森のアトリエのすぐ上の”岩斜面”
さらにひと登りすると目指す古墳があった。車でも上がってこれる場所で目の前は駐車場。見学しやすい古墳。
大きな看板には「渡来人が教え伝えた古代の光と風の証」というタイトルの地図が記されていた。古墳も5つ。
右手側に回ると墳頂への階段が。
その脇の説明板。
稲穂山古墳
①秩父地域で最古の古墳である。この古墳の大きさは直径35~40m、高さ7mで、秩父地域の中で最大級である。
②この古墳からは、武甲山をはじめ秩父の山並みが一望できる。また、秩父市、旧吉田町、皆野町、長瀞町の宝登山までが眼下に見える。
③この古墳は、5世紀の半ばから6世紀にかけて造られたもので、竪穴から横穴式への移行期のものと思われる。
④この古墳は、盛り土を使わず、旧地形を削りだすことで造成されている。
⑤なぜこんな高いところに古墳を造ったのか?被葬者の支配地域と重なるのか、なぞが多い。
そこから右手の北方向にはきれいな三角形の宝登山(ほどさん)
桜と並べて。
背の高い桜。
手前側には韓国の博物館で見た鳥竿(ソッテ)が立てられていた。
ソウルの漢城百済博物館での展示ジオラマ。紀元前・青銅器時代の古朝鮮。
稲穂山古墳の墳頂へ。
そこには石材が集まっていた。
木々が繁ってはいるが、秩父盆地が一望できる眺めが素晴らしい。標高は265m。
荒川を見下ろす西側の眺め。天気がよければ奥に両神山が、さらに左を向いた南には武甲山が見えるとのことだった。
また、左下の木々の先、直線距離で約350m、比高差約90mの場所に(円墳)大塚古墳が築かれている。
背面の斜面。
案内所におられた方に、当古墳を紹介する産経新聞の記事(平成9年5月1日付)を見せていただいた。
その記事によれば、当古墳は平成8年11月にキノコ狩りに来た人が発見し、平成9年に皆野町教育委員会が「稲穂山古墳」と名付けて調査に取り組みんだ結果、東日本では数例しかない「横穴式の初期形態」を示す石室が見つかったそうだ。
石室は基盤の岩盤を掘り込んで埋められ、主体部の横に入口が付くもので、石棺は縦2m・横60cm・深さ40cmほどの空間に長さ170cm・厚さ15cmの一枚の蓋石が乗っていたとのこと。埋葬部主軸は周辺古墳とは異なる東西方向。
石室形状が竪穴式から横穴式に移行する過渡期の5世紀代の築造で、秩父地方で最大級の「大塚古墳」を見下ろせる立地条件からかなりの有力者と推測されるという。
この古墳が発見される前までは6世紀後期の金崎天神塚古墳が秩父最古とされ、秩父の古墳文化は上州から入ってきたと考えられてきたが、5世紀代に遡ることによってそれより早く、長野や山梨など中央高地から早い時期に入っていた可能性も出てくる、という関係者のコメントも紹介されていた。
中腹から見上げた墳頂部。
墳丘の横にはあずま屋があって、屋根の下でベンチに座りながら墳丘を眺められる。
あずま屋の前には記念碑が。
ムクゲ自然公園創設者、故尹炳道(伊藤嘉規)公羽の一途な愛国心を称えて、公園の発展のために、韓国のあずま屋を寄贈させていただき「丹心亭」と称します。大韓民国 山林組合会長 李錫炯
これによって、この公園が個人によって整備されたことを知った。
あずま屋と墳丘を俯瞰で。
墳丘裾には満開のミツマタも。
墳丘は丘と一体化している。南側の裾。
北側の裾。そのまま山の斜面に続く。
公園内のムクゲは何と10万本。7~9月が開花期。ムクゲは韓国の国花でムグンファと呼ばれる。
http://www.mukuge.com/info/2018/07/673/
ムクゲの植わる斜面。
振り返っての稲穂山古墳。
夏の開花期に再訪したい。