墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大田区立池上梅園 東京都大田区池上2丁目

3月初めの池上梅園を訪ねた。

 

こちらのDogwoodさんのエントリに誘われて。

 

公園の位置は池上本門寺がある高台の西北端。梅が満開の案内地図は左が北。

池上梅園の来歴
戦前、池上梅園は園内北半部が日本画家・伊藤深水氏の自宅兼アトリエで、「月白山荘」と呼ばれていたが、戦災で焼失した。
戦後、築地の料亭経営者・小倉氏の所有となり、現在の園内南半分が拡張された。小倉氏没後昭和50年(1975)ご遺族の意志により庭園として残すことを条件に東京都に譲渡された。
昭和53年(1978)に東京都から大田区に移管され、紅梅を中心に植林・拡張がすすめられ、梅や庭園を楽しむ公園として整備された。
その後、昭和58年(1983)に茶室「聴雨庵」が、平成元年(1989)には茶室「清月庵」が大田区に寄付された。

 

ほぼ満開で、とても華やかな雰囲気。

 

3月7日時点では、遅咲きが見頃を迎えているそうです。

大田区ホームページ:池上梅園

 

ニョキニョキの枝の下の木道。

 

木道から斜面側。

 

地面の様子もきれい。

 

この公園に移築され、利用もできる茶室「聴雨庵」

以下は現地説明板から。

茶室 聴雨庵について
聴雨庵は、政治家藤山愛一郎氏所有の茶室でしたが、昭和58年に大田区に寄付されました。
藤山氏の芝白金の自宅には三棟の茶室があり、海外の来賓を招くなど民間外交の実をあげたところでもあります。戦時中の昭和19年には、東条内閣打倒密議が岡田啓介・米内光正・末次信正を集めて聴雨庵の中で行われました。
聴雨庵の名前の由来は、父 藤山雷太氏の雅号を「雨田」と称したところからとも言われています。大田区 

 

移築された茶室はもう一棟、「清月庵」 

茶室 清月庵について
この茶室は、伊東深水のアトリエを設計した数奇屋建築の設計家、川尻善治氏が自宅に立てた離れでした。川尻家は大正の一時期、池上門前で温室園芸と料理屋と営み、その一角にこの離れ家を建てました。
その後、マンション建設が計画され、保存運動が起こり、保存に尽力された大田区在住の華道・茶道家、中島恭名氏が買い取り大田区へ寄付されました。
区は深水・善治の両氏とゆかりの深いこの梅園に再建して「清月庵」と命名し、平成元年から茶室として公開しています。大田区

 

木の皮で編んだ戸袋の表。

 

その先には出店も。 

 

奥には薬医門。

 

おいしい甘酒などをいただきました。

 

そこから池のある庭園エリアへ。 

 

対岸には大田区が建てた和室棟。

 

玄関前の梅は良い香り。

 

来た道を振り返って。

 

こちらは八重の「座論梅」

 

石段を上がった先からの眺め。

 

ヒヨドリでしょうか。

 

直角二重奏。

 

勾配が紅梅で彩られて圧巻でした。