墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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法界塚古墳 神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷

前回のつづき。 

宮前大塚古墳から法界塚古墳へ向かう。

 

田園都市線のトンネルの上を通り、坂を下ってまた上った。 

 

グーグルマップのピンの位置にあったのはJAセレサ川崎の駐車場。

 

その一隅に墳丘があった。

 

擁壁でしっかり守られている。

 

かなり高い位置にあり、一旦写真に撮らないと読めない説明板。文字もところどころ読めなくなっていた。

法界塚古墳
所在:川崎市高津区梶ヶ谷2-7
この古墳は、梶ヶ谷古墳群を形成する主要古墳の一つで7世紀中央から後半頃の築造とされる。「新編武蔵風土記稿」によると、村の北の方にあり五間四方ばかりの地なりとある。また、大正3年発刊の「神奈川県橘樹郡案内記」には、字清水谷と称する北方高台の畑中にあり、高さ12尺と記されている。これにより同墳は直径9m、高さ4m程度の円墳だったと推定される。
内部主体は、昭和5年に発掘調査されたが、その時には既に封土は剥がされ、天井石は取り除かれ、6m弱の横穴式石室が見えていた。そこから人骨(海綿のごとく腐食していた)や、金環、鞘尻、小玉、歯数十本が出土した。
なお、同墳の周辺に近年までもう二基の古墳があり、別名三ツ塚と呼ばれていたとされるが、削平され跡形もない。同墳のみ、地主中山氏の尽力で、封土を復元しその姿を止めているのみであす。
ここに祖霊を敬い、中山家ご家門の繁栄とJAセレサ川崎の発展を祈念して本札を建立するものである。
平成11年7月吉日 JAセレサ川崎代表理事組合長 小泉一郎

 

回り込むと石段が。

 

墓標(?)に参拝。

 

墳丘から南側。周囲より少し高くなっているようだ。

 

墳丘の松。

 

松の先に梅。

 

七分咲きほどか。

 

青空をバックに。

 

南側から見た墳丘。

 

あとで調べていたら、ぺんさんのサイトに詳細があり、人骨や副葬品が出土した法界塚古墳はもとは別の場所にあり、昭和40年代の区画整理で削平されて現位置に復元されたが、この場所は清水谷1号墳が削平された場所になるとのこと。

http://pennihonshi.blog.fc2.com/blog-entry-390.html

 

古墳から梶ヶ谷駅までは徒歩8分。線路の北側に回ったら、留置線が良く見える場所に出た。 

 

空の広いストレートな歩道。左の並木は桜だった。