墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚田塚古墳(カンカン塚) 長野県上田市上野・市立第五中学校敷地内

前回の七つ塚から西に800mに、校内に小さな古墳を残す上田市立第五中学校があります。

外から校内の様子を見ていた時に、ちょうど先生らしき方が通りがかったので見学希望を伝えると、わざわざ事務室まで案内していただけました。ありがとうございました。

 

見学申請の書面に記入をします。

廊下の壁に古墳の説明が掲示されていました。愛されています。

塚田塚古墳(カンカン塚)<上田市誌 ⑤上田の弥生・古墳より>
染谷台地の東北部、第5中学校敷地の上野字塚田にあります。墳丘はまったくなく、石室だけが完全に露出しています。周辺は穏やかに傾斜する平地ですので、字名になるほど古墳の存在が目立ったのでしょう。露出している天井石を石でたたくと、石室の空洞に共鳴してカンカンという音がするので、カンカン塚と呼び習わされてきました。
墳丘が全然ありませんので、本来の規模を知ることはできませんが、石室が小規模であることから、墳丘も直径10m程度であったと考えられます。
露出しているものの、ほぼ原形をとどめている石室は、両袖型の横穴式石室で、玄室の長さが2.13m、羨道の長さ1.58m、石室の全長3.71m、奥壁部の(高さ?)1.36m、玄室中央部の幅1.49m、玄門際の幅1.28m、玄門の幅1.0m、羨道の幅1.31mです。
玄室中央部でやや幅が広いけれどほとんど長方形で、羨道の幅と差の小さい形を示します。奥壁にしようされている平石はあまり大きくなく、側壁の基底部の石や天井石もさして大きくありません。小ぶりの石で小ぶりの石室を築いていますが、全体的には整った石室と言えます。
かつて、直刀、鍔、鉄鏃などの武器、土師器・須恵器の土器、人骨等が出土したと言われていますが、現在その所在は不明です。
石室の形状、規模などから、7世紀の中頃以降に築かれた古墳であろうと推定されます。
近くには神科地区の東部、新屋集落の東側の山麓にある4基の古墳によって構成される新屋古墳群と、果樹園内にある7基の矢花古墳群(矢花の7つ塚)があります。

 

墳丘は正門と建物の間、駐車場脇に残っています。

 

横穴式石室が南に開口。

 

奥壁、側壁、天井石もきれいに残っています。 

 

明るい石室ですが、一見どっきりした木の根(蔓?)

 

奥壁前から。

 

学校のサイトにも当古墳の解説が載っています。

「南は一面に開けた最も景勝の地に」とあるので、建物が無ければ上田盆地の広がりを目にすることができるのでしょう。

第五中学校のホームページ - カンカン塚古墳について

 

北東側から見た墳丘。