墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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広山寺古墳 長野県上田市真田町本原

前回の藤沢古墳の1km東に広山寺古墳があった。

 

広山寺の境内森の北西端に墳丘が。

 

上記右端に説明板。

上田市指定文化財
広山寺古墳 史跡
本原地区には多くの古墳が点在しているが、これはその中で最も規模が大きく、墳形および内部構造とも比較的完全な状態で残っている。古墳時代後期に属するもので、今から約1300年前に築造された豪族の墓である。
<古墳の規模>
墳形(円墳):東西20m、南北18m、高さ4.5m
内部構造(横穴式石室):玄室長さ3.33m、奥幅2.2m、奥壁高さ2.2m、前部高さ2.1m、羨道長さ3.4m、玄門幅1.25m、玄門高さ1.11m、羨道高さ1.43m(羨道入口は後補である)
昭和47年4月1日 上田市教育委員会

 

道路側から見た墳丘。

 

左廻りに進む。

 

上記の左奥をズームで。雪をかぶっているのは烏帽子岳か。

 

さらに回り込むと開口部があった。

 

開口部は南南西を向いている。

 

説明板に「羨道入口は後補」とあったが、結構埋まって開口部が高くなってきている。

四つんばいになって中へ。 

 

内部をフラッシュで確認。羨道と玄室合わせた長さは7m近くになる。

 

中へ入らせていただいて、羨道から玄室をフラッシュで。

 

奥壁は高さ2.2m。

 

 奥壁前から振り返って。

 

同じ位置でフラッシュで。

 

横位置でも。 

 

上記の右手。玄門の石と玄室の隅。

 

「上田市文化財マップ」の解説では「土地の古老の話」として、中腹部に開いた穴から内部に入り、ふさがっていた羨道部を掘り出して芋の室として使ったことが紹介されていた。盗掘等で昔から開口していたらしく遺物は全く残らなかったが、羨道の大部分や玄室は築造当初のままと思われるそうだ。

http://museum.umic.ueda.nagano.jp/map/document/dot109.html

 

真田の人も、子供時分に入ったことがあったのでは。

 

すぐ近くの二差路には「馬頭大士」と刻まれた石。

 

そこから北方向の眺め。