墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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二子塚古墳 長野県上田市上田

前回のつづき。

秋和大蔵京古墳の見学後は上田バイパスを東に移動して、市街地にある二子塚古墳へ向かった。上田駅前の道をまっすぐ北へ2㎞強上がっていった場所にある。

 

神社があるせいか墳丘の周囲の隅々まで、きれいに整備されていた。

 

後ろを振りむくと、道路の反対側に大星神社が鎮座する。

 

明るく歩きやすい林の中。

 

ベンチの隣になぜかカエル。 

 

説明板も50年近い歳月を経ていた。 

市指定記念物(史跡)
文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する。
種別:記念物(史跡)
名称:二子塚古墳
所在地:上田市大字上田字秋葉裏2498番地
指定年月日:昭和43年4月25日
前方部を北西50度に向け後円部は南東50度におく。後円部は秋葉社奉祝(宝永年中)のため東部北西部は石垣積みとし、頂部平旦面で外形不完全ながら楕円形に残っている。前方部は上部を石垣積となし二子明神を祀り(今はない)原形を甚だしく変えている。殊に後円部前方部のくびれの封を削り移し原形は判然としない。東北に周湟の跡を残している。培塚を推定5基持つ古墳時代中期のものとして原形は甚だしく変形しているが小県佐久地方唯一の前方後円墳として貴重なものである。
後円部径22m、高さ4m、長軸48m、前方部幅18m、高さ4m
保存上の注意
・墳丘上の樹木を伐採し封土の崩壊を防ぐこと
・墳丘外の樹木を伐採することを禁ず
・指定文化財周辺の環境を整理整頓すること
・許可なく現状変更を禁ず
昭和46年3月10日 上田市教育委員会

 

当古墳も「上田市文化財マップ」にて詳しい解説と実測図が掲載されていた。 

左下が北で長軸は北西ー南東にあり、標高が低くなる南東側に後円部を向けている。

後円部直径に比べて前方部幅が大きく広がる形状や、墳丘周囲から出土した円筒埴輪片の特徴などから、築造時期は6世紀前半頃と推定されるそうだ。

二子塚古墳墳丘実測図
出展:常木晃・松尾昌彦・桜井達彦「千曲川上流域における古墳の実測調査」『信濃』36-11(1984)

http://museum.umic.jp/map/document/dot42.html

 

石段のある鳥居側から上がらせていただく。前方部右下裾になる。 

 

前方部・くびれ部・後円部へと右奥へ続く側面。

 

前方部墳頂には石垣が。

 

石垣の上部。かつて二子明神が祀られていた場所。

 

前方部端から30mほど先(北西側)には陪塚があった。

 

南西側。右下にさきほどのカエル。

 

前方部(右寄り)から後円部。

 

後円部上の秋葉社。

 

振り返ると秋葉社への石段(が、後円部についている)

 

秋葉社の後ろ、北東方向の様子。

 

後円部から南東方向。

 

墳裾からの後円部。右は秋葉社の後ろ側。

 

少し引いた位置で。秋葉社があるのが後円部で、右の石垣は前方部。 

 

パノラマで。右側前方部裾は、後世の変形をかなり受けた模様。

 

後円部を南側裾から。 

前出の「上田市文化財マップ」には、なんと下記の記載がある。

現在、後円部の南側に石室の天井石ではないかとみられる大石が二個露出していますが、この大きさから推定すれば、横穴式石室をもつ古墳の可能性が強いように思われます。

再訪の機会があれば、天井石を確かめたい。

 

落ち葉の絨毯が気持ちよかった。

 

南東側からパノラマで。左が前方部、右が後円部。

 

さきほど前方部の上から見下ろした二子塚古墳の陪塚は周囲35.5m、高さ4.4m。

前出の「上田の文化財」には二子塚古墳の陪塚は2基残り、2基は痕跡を残すだけとの記載もあった。二子塚の北東側に、かつては周囲30.5m、2.2mの高さがあったと記録されたもう1基が残っていたようだが、見逃してしまった。