墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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安久津八幡神社 鳥居町古墳群 山形県東置賜郡高畠町安久津

前回のつづき。

考古資料館見学後は、風土記の丘の東隣にある安久津八幡神社へ向かった。 

 

境内には三重塔があり、古都の趣き。

安久津八幡神社は貞観2年(860)、慈覚大師の発願による阿弥陀堂建立に始まり、前九年の役の後に源義家が鎌倉の鶴岡八幡を勧請して隆盛していったとされるそうだ。

 

鳥居の奥、参道の左右それぞれに、大きな棒状の石が寝かせてある。

「じじばば石」と呼ばれるそうで、下記サイトに宮司による説が紹介されていた。

http://okibun.jp/kyoseki/

 

鳥居の前から右側に高畠町郷土資料館の大きな建物が。

 

残念ながら土日祝が休館。

 

外のパネルに鳥居町古墳群の解説があった。期待が高まる。

鳥居町古墳群3号墳
安久津古墳群の一支群を成す。現在確認されているのは12基です。すべて横穴石室を有する円墳で、神社本殿を取り囲むように、背後の山裾に分布しています。時期は、7世紀後半から8世紀にかけてのもの。県指定史跡

 

神社の参道に戻って、案内図を見るが、古墳の位置はわからず。

 

本殿への参道上に、舞楽殿が横向きに建っていた。

 

舞楽殿は室町末期の建物と考えられ、春の例大祭で田植舞、秋の例大祭では「延年」が舞われるそう。

 

振り返っての舞楽殿と三重塔。三重塔は寛政9年(1797)の再建。

 

本殿前の石段を上がって振り返ったところ。

 

ちょっと寒そう。

 

茅葺き屋根が雪で覆われた、荘厳な拝殿に参拝。

 

宝暦5年(1755)の築(再建)の安久津八幡神社本殿は三間社流造・茅葺きで、和様平三斗の軒組みを持つ。 もともとの本殿は、現在地の北の八幡山の中腹に近いところにあったそうだ。

解説には「八幡山の中腹や山麓には、神社を囲むように十数基の古墳が点在しています。この古墳群は、鳥居町古墳群と呼ばれるもので、いずれも横穴式石室を有する7世紀後半から8世紀にかけての円墳です。本殿左手浦に見ることができる古墳は、鳥居町3号墳、4号墳です。」とも書かれていた。

 

本殿の棟側屋根は、半円形に張り出す特異な形状をしている。

 

その部分をズームで。

 

拝殿前に「鳥居町古墳群・入口」とのサインが。

 

その方向は雪をかぶった藪だった。

 

見つけるのは難しいかと踏み分けていくと、すぐに右手に開口部が!

 

膝をつけば入れる高さ。

 

まずはフラッシュ(と声)で、小動物を確認。 

 

 羨道から玄室。

 

玄室に入って奥壁と側壁の隅を。

 

振り返っての開口部を、しゃがんで。

 

フラッシュでも。 

 

石室前から見た安久津八幡神社。