墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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安久津古墳群(2号墳) 山形県東置賜郡高畠町安久津

前回のつづき。

うきたむ風土記の丘考古資料館の駐車場に着くと、まず広場の雪山が目に入った。

手前が安久津(あくつ)2号墳、左後ろが安久津1号墳だった。

 

右へ回り込むと、堂々とした開口部があった。

 

現地の詳細な解説板。

安久津2号墳
「古墳」というのは、言うまでもなく死者を埋葬した墳墓のことで、本県置賜地方にはたくさんの古墳が所在することで知られています。高畠町にも多くの古墳が所在しており、特に町の中心部を西に流れる屋代川の右岸、標高250m~300m前後の山間地に密集しています。これらは総称して「安久津古墳群」と呼ばれ、東から山ノ神古墳群、鳥居町古墳群、安久津古墳群、味噌根古墳群、加茂山洞窟古墳、源福寺古墳群、羽山古墳、北目古墳群などの各支群より構成されています。
かつては相当数の古墳が所在したと考えられますが、開田や開墾等により徐々に失われ、現在30数基の古墳を確認することができます。現存するこれらの古墳は本県古墳時代の終末を代表する古墳群として、昭和59年7月17日、山形県指定史跡に指定されました。
県指定史跡「安久津古墳群」を構成する支群の一つである安久津古墳群は、かつては「出羽の七ツ森」などと呼ばれ、7基の古墳が所在していたといわれていますが、現在墳丘を確認できるのは、1号墳、2号墳の2基のみです。右側に所在するのが1号墳、左側の1号墳より一回り大きな古墳が2号墳です。
安久津2号墳は、平成3年から5年にかけて、高畠町教育委員会により、史跡整備を目的とした調査が行われました。その結果、横穴式石室を有する径22m前後の規模の円墳であることが確認され、同時に、周溝を伴い、墳丘と周溝との間に幅約3m程の平坦面を持つことがわかりました。横穴式石室は、玄室・羨道から成り、全長4m90cmを測るもので、石室の部材には地元産の大きな凝灰岩が使用されています。石室の内部はすでに盗掘をうけており、遺物はほとんど残っていませんでしたが、前庭部や周溝内から「須恵器」や「土師器」と呼ばれる古代の焼物がたくさん出土しました。これらの出土遺物から、本古墳は7世紀後半に造られたものと考えられます。また、羨道の入口部から前庭部にかけて作り替えられていることから、7世紀の終わり頃に追葬が行われたものと推測されます。
調査結果を基に、平成9年10月1日から復元整備工事に着手し、翌10年1月31日に完成しました。
平成10月1月31日 高畠町教育委員会

 

解説板にあった修復前の写真。

 

しゃがんで羨道へ入る。

きれいに加工された石だが、上の写真と比較すると復元されたもののようだ。

 

玄門から玄室へ。

 

奥壁の大きな石はオリジナルのようだ。

 

奥壁前から羨道を振り返って。

 

同じ位置からフラッシュで。

 

外に出て振り返って。青空が出ているが小雪が降っていた。

 

古墳の東側には縄文期の竪穴式住居が復元されている。

 

入口側から。

 

そのあたりから見た安久津古墳。左が2号墳、右が1号墳。

 

 

再び2号墳の前を通って、考古資料館へ向かった。