墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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本間美術館(本間家旧別荘「清遠閣」・本間氏別邸庭園「鶴舞園」) 山形県酒田市御成町

前回の山居倉庫から新井田川を越えた北側の旧市街地には、本間家旧本邸や旧鐙屋、山王くらぶ、相馬樓など、江戸中期から明治期にかけて建てられた貴重な文化財(建物)が徒歩圏内に複数残っていて興味を惹かれていたが、雪が激しくなり歩きにくい状況になっていたので、酒田駅に近い本間美術館(本間家別荘)のみを選んでタクシーで向かった。

 

大通りから入ってすぐに美術館建物とその前にロータリーがある。

 

その日は、ロータリーがわからないほどに、一面が雪野原になっていた。

正面建物が昭和43年(1968)に竣工した本間美術館(新館)で設計は伊藤喜三郎。

このときは収蔵品展「日本画の新時代 革新と伝統」の開催中で、菱田春草や横山大観、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、渡辺省亭、狩野芳崖らの作品を見ることができた。一般900円。

http://www.homma-museum.or.jp/event/ai1ec_event-1102/

 

美術展を見た後は建物を出て、前を行くグループの後について庭へ回り込む。

雪吊りがその役目を果たしていた。

 

通路に覆いかぶさっている雪の枝を、かがんで除けながら進む。

 

雪の中に大きな木造家屋があった。

 

門前の松。雪のつき方が面白い。

 

本間家旧別荘「清遠閣(せいえんかく)」の一階座敷に上がると、水墨の襖絵に囲まれたようだった。

 

上記の、右側の窓から美術館建物の方向。

 

左側の窓を。

 

その窓の前の廊下。

 

窓のガラスは古いもので、横から見ると波打っている。

 

室内からなので落ち着いて雪景色を鑑賞できた。

 

奥には喫茶室もあったが時間の都合で見るだけに。

 

幅広の、欅材の階段で2階へ。

 

見上げると見事な彫り物。

 

2階の大広間。

 

ここも襖絵的世界。

 

低い庭木には長方形の雪屋根がかけられる。

 

室内側の様子。

 

角度を変えて床の間を正面から。 

 

櫛のような欄間。

 

階段側壁の反対側(多分)

 

本間家別荘由来の解説板があった。

本間家別荘の由来
本間家四代光道(こうどう)が、文化10年(1813)浜畑の下屋敷に別荘を作りました。庭園には諸国の珍石が使用されていますが、綿積石(わたつみいし:海神石)として北前船で酒田湊に運ばれたものを丁持達の冬季失業救済事業として、橇で運び更に谷地に砂をもって整地し造園しました。
庭園は鳥海山を借景として、蓬莱島を中心とする廻遊式庭園ですが、作者は不詳です。おそらく、光道が深く師事した俳人常世田長翠(とこよだちょうすい)が作庭家でもあることから、その指導や助言があったと思われます。庭園完成後、庄内藩主酒井忠器(ただかた)候が、東屋のそばの老松に鶴が飛んでくることから、「鶴舞園(かくぶえん)」と命名されたと言われております。なお建物は「清遠閣(せいえんかく)」茶室は「六明廬(ろくめいろ)」と名付けられています。
江戸期には、藩主酒井候が領内巡視の際、たびたび御来臨されそのつど庭園・建物の改築拡張を行いましたが、失業救済の意味あいが非常に強いものでした。明治以降は酒田の迎賓館として、東宮殿下(昭和天皇)・秩父宮・高松宮・三笠宮などの宮家の殿下親王や太政大臣三条実美・伯爵副島種臣などの方々がご宿泊なされました。
なお清遠閣の二階は、明治41年東宮殿下(大正天皇)東北巡啓の内意があり増築しましたが、中止となりましたので、御座所は昭和天皇が東宮時代に御来臨なさるまで、柱連を回し使用されることがありませんでした。

 

※文中にある「丁持:ちょうもち」は港湾労働者の意味。

http://www.homma-museum.or.jp/about/

 

本間家については下記のサイトの解説がわかりやすくまとまっていた。

もとは佐渡の豪族だった本間家は、酒田に移り住んで商人となり、金融業や米取引、北前船交易などで莫大な富を築き上げ、庄内藩譜代大名の酒井家13万石に対して本間家は20万石規模と庄内藩を上回って支えるほどになって、その繁栄ぶりは「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われたとのこと。

https://yukarino.jp/articles/0355609

 

再び外に出て雪の庭園を巡る。

 

 

振り返っての清遠閣。 

 

池にかかる石橋は慎重に渡る必要があった。

 

雪景色の鶴舞園を堪能して酒田駅へ。徒歩5分の距離だが倍くらいかかった。

 

5時間前に着いた時にはそれほど積もっていなかった。自転車で駅に来た人も沢山いらした様子。