墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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江釣子古墳群(八幡支群)・えづりこ古墳公園 岩手県北上市北鬼柳

前回のつづきの江釣子古墳群。

4支群の最後は、えづりこ古墳公園内にある八幡支群へ。

ここは毎年9月にえづりこ古墳祭りが行われる場所で芝生広場や大きな駐車場も完備されていた。

 

古代をイメージした石の造形も。墳丘もイメージのようだった。

 

ちょっとアートに寄り過ぎたか。 

 

背後の斜面上があやしい。

 

巨木の周囲にベンチ。

 

何気なく見ていたら「八幡3号墳」があった。

 

背後の林の中に散策路があるので入ってみる。

 

墳丘は見つからず。

 

東屋に説明板があったが個別の位置は判らず。

史跡 江釣子古墳群(昭和54年国指定)
江釣子古墳群は、4支群(猫谷地、五条丸、八幡、長沼)から構成されており、昭和26年(1951)に上江釣子の猫谷地支群が初めて発掘調査されました。この調査で古墳の構造や、中に納められた副葬品(土器・刀・玉類など)を知ることができました。
その後も、昭和37年(1962)に上江釣子の五条丸、昭和47年(1972)に和賀町長沼で調査が行われました。これらの調査により、古墳によって、構造や副葬品に違いがあることがわかりました。
副葬品には、刀(蕨手刀=柄が蕨のように丸まっているもの・直刀)、矢じり、馬具、農具など様々なものがあり、埋葬された人がどんなことに関わっていたかが明らかになってきました。
玉類(勾玉・ガラス玉など)はまとまって見つかり、首飾りなどに使われたと考えられます。勾玉は瑪瑙のような宝石に使われる石製のものが多く、地元で作ったものと思われます。一方、ビーズのような小さなガラス玉は、他の地域から持ち込んだものと思われます。特に、長沼で見つかった金張りガラス玉は、シルクロードを経由して古代オリエント地方からもたらされたものと考えられます。
また、蕨手刀と呼ばれる鉄製の刀は、全国でも岩手と宮城で多く見つかっています。中でも岩手では全国の4分の1以上が見つかっています。原料となった砂鉄が豊富な地域で作られた可能性が高く、古墳からみつかることが非常に多いことが特徴で、日本刀のルーツとも言われています。
・五条丸支群23号墳(上)と22号墳(下)から見つかった蕨手刀など
・五条丸支群から見つかった馬具(轡)
・猫谷地支群で玉類が見つかった様子と復元した首飾り
・猫谷地17号墳の調査(昭和48年岩手県教育委員会)

 

そのまま神社の方へ。

 

支群の名の由来と思われる八幡神社に参拝。

 

その境内にあった説明板。 

国指定史跡 江釣子古墳群(八幡古墳群)
昭和54年9月10日指定
八幡古墳群は、和賀川北岸の河岸段丘編辺部に立地し西方の長沼・五条丸・猫谷地各古墳群と同じく古墳時代末期(7世紀後半~8世紀前半)の造営と推定される円墳群である。標高約70m、南面する和賀川氾濫原との比高は約4mを測る。隣接した地域には古墳時代から平安時代にかけての大集落跡がある。
古墳群の本格的な調査はまだ実施されていないが、直径5~8mの墳丘が8基残っている。
岩手県内で最大規模をもつ史跡江釣子古墳群は、東北の古代史を探るうえで重要な遺跡である。しかし、古墳の正確な数や配置、他地域の古墳群との比較検討など、まだ多くの課題が残されている。今後、これらを調査・研究していくことによって、より正確な古代東北の姿が浮かび上がってくるであろう。
北上市教育委員会

 

よく見ると先ほどの3号墳の他に、1号、2号、4号、5号の位置も記されていた!

 

その先の公園南側入口にも、 古墳の位置が記された案内図が。

 

林の中で古墳を探す前に、目の前の模擬円墳へ。

 

その上から見た古墳広場。

 

南側はすぐ先が和賀川。

 

何かの説明板が見えたので行ってみると、縄文期の樺山遺跡のものだった。

樺山遺跡
北上川東岸の標高100m前後の西南に傾斜する丘陵上にある縄文時代の遺跡で、配石遺構(ストーンサークル)が発見されています。配石遺構は30数ヶ所発見され、配石には幾つかの類型があります。
立石の周囲に円形に石を敷き並べたもの、立石の前面に円形に石を敷き並べたもの、立石を中心の放射状に配石したもの、立石がなくサークル状に配石したものなどです。
造られた年代は出土遺物により、縄文時代と推定され、墓あるいはまつりの場ではないかと考えられています。配石遺構の周辺には、縄文時代前期末から後期初頭までの集落跡が広がっています。

 

ストーンサークルのレプリカも。 現地は夏に訪ねたい。

 

林の中に戻って、まずは八幡4号墳。

 

その先、林の一番奥に八幡5号墳。

 

林の中には墓地や庚申塔もあった。

 

ぐるっと回って八幡2号墳。

 

その隣に1号墳があるはずだが・・・

 

位置的に、この木の下のように思われた。

 

公園にあったトイレ。冬季は外にあるトイレはどこも閉められるようだ。 

 

古墳と湧水を辿る「新奥の細道」というコースが紹介されていた。