墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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江釣子古墳群(五条丸支群) 岩手県北上市上江釣子

前回のつづきの江釣子古墳群。レンタカーを利用していたが、徒歩だと1時間離れたエリアになる。

 

崖上に沿った道を東に向かうと少し開けた場所に出た。駐車場もある資料館(民俗資料館)だが廃館となっていた。前庭にはチェーンが。

 

真新しい説明板があったが、なんと説明文を撮りそびれてしまう。 

赤丸は「現在墳丘や積石が残る古墳」で地図で数えると26基。
青丸は「1962年に調査した古墳」で47基。
緑丸は「2017年までに調査した古墳」で39基だった。

 

1962年の発掘時の写真。

 

全体像も撮っていなかった。雨に気をとられてしまったか。

一応ストリートビューで(こちらの看板は一代前のもの)

 

下記は別の場所・八幡支群にあった江釣子古墳群全体の解説板。

史跡 江釣子古墳群(昭和54年国指定)
江釣子古墳群は、4支群(猫谷地、五条丸、八幡、長沼)から構成されており、昭和26年(1951)に上江釣子の猫谷地支群が初めて発掘調査されました。この調査で古墳の構造や、中に納められた副葬品(土器・刀・玉類など)を知ることができました。
その後も、昭和37年(1962)に上江釣子の五条丸、昭和47年(1972)に和賀町長沼で調査が行われました。これらの調査により、古墳によって、構造や副葬品に違いがあることがわかりました。
副葬品には、刀(蕨手刀=柄が蕨のように丸まっているもの・直刀)、矢じり、馬具、農具など様々なものがあり、埋葬された人がどんなことに関わっていたかが明らかになってきました。
玉類(勾玉・ガラス玉など)はまとまって見つかり、首飾りなどに使われたと考えられます。勾玉は瑪瑙のような宝石に使われる石製のものが多く、地元で作ったものと思われます。一方、ビーズのような小さなガラス玉は、他の地域から持ち込んだものと思われます。特に、長沼で見つかった金張りガラス玉は、シルクロードを経由して古代オリエント地方からもたらされたものと考えられます。
また、蕨手刀と呼ばれる鉄製の刀は、全国でも岩手と宮城で多く見つかっています。中でも岩手では全国の4分の1以上が見つかっています。原料となった砂鉄が豊富な地域で作られた可能性が高く、古墳からみつかることが非常に多いことが特徴で、日本刀のルーツとも言われています。
・五条丸支群23号墳(上)と22号墳(下)から見つかった蕨手刀など
・五条丸支群から見つかった馬具(轡)
・猫谷地支群で玉類が見つかった様子と復元した首飾り
・猫谷地17号墳の調査(昭和48年岩手県教育委員会)

 

遺物に関する看板は撮っていた。

江釣子古墳群から出土した遺物

江釣子古墳群の石室やその周辺からは多くの遺物がみつかっている。蕨手刀、馬具、鉄鏃などの武器や、武具、瑪瑙製の勾玉や水晶製の切子玉、ガラス小玉などの装身具である。これらの遺物は、古墳の被葬者に副葬されたものと考えられる。
江釣子古墳群の代表的な出土遺物は現在、北上市立博物館本館で常設展示している。
平成29年(2017)10月 北上市教育委員会

 

チェーン越しの前庭。東屋手前の丸い囲みは墳丘?

 

敷地の東縁に小道があった。

 

小道の先には観音像。 

 

地域の有志が建てた、古墳の「みたま」の像だった。

 

 

みたまの像から北側を見ると、石室が露出した一画があった。 

 

それぞれに番号札も。

「五条丸15号墳」

 

その北側に「五条丸16号墳」

 

さらに北側、北東隅に「五条丸17号墳」

 

その西側に2基。 

 

奥の方が「五条丸18号墳」

 

そこから北側の眺め。 

 

 18号墳から東側を振り返って。

左手奥の建物が廃止になった江釣子史跡センターで、その右側の繁みが復元古墳であったことを後から知った・・・

 

桜の前にきれいな石積みがあったが番号札はなかった。

 

説明板には20号と22号の発掘時写真があったが・・・

 

 形のよい桜。春は見事だろう。

 

この日は冷たい雨だった。