墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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姫塚古墳 姫地下坑 崖古墳 愛知県安城市姫小川町姫

前回の獅子塚古墳から南に200mほど、川沿いの道から数メートル西側へ上がる。 

まずは目に入る”崖古墳” 

 

 斜面の上(南西)側から。

 

東側から。 

横穴式石室でもありそうな雰囲気はあったが「桜井古墳群保存管理計画書」には「古墳ではない可能性が高い」と記載されていた。

https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/documents/siryouhen.pdf

 

姫塚古墳は、そのすぐ北側に。

 

方墳の角の折れ目が感じられる。

 

上記の位置から南側。

 

小道を登っていくと説明板があった。

市指定史跡 姫塚古墳
昭和40年11月3日指定
桜井古墳群を構成する古墳の一つで、碧海台地端部に築かれています。この古墳はかつて円墳とも考えられていましたが、発掘調査によって南北28m、東西25m、高さ4mの方墳に復元されています。墳丘の西側から南側にかけては、幅7.3m以上の周溝が発見されています。出土遺物はわずかであるものの、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と推定されます。
なお、地元では、姫塚古墳は都より配流された孝徳天皇の皇女綾姫の墓という伝承が残されています。明治12年(1879)の「姫小川村全図」には「ヒメ墓」とあり、この頃すでに伝承と古墳が結びつけられていたようです。墳頂には「姫宮墓」「白鳳十辛巳年」と刻まれた宝篋印塔があります。
安城市教育委員会

 

一方で「桜井古墳群保存管理計画書」には方墳”ないし円墳か”とあり、周溝とみられる遺構から古墳時代前期の遺物が出土しているが詳細な築造時期の比定は困難とあった。

 

説明板から東側の斜面下方向。右手は墳頂への小道。

 

墳頂は平坦。

 

上ってきた方向。

 

墳頂から東方向。

 

枝の間をズームすると、広がる低地が写った。

 

グーグルマップで墳丘西側に「姫地下坑」の記載があったので近づいてみると、解説板がある。

 

花壇で囲われた窪みが。

 

「古墳時代後期の墳墓とみられる地下壙のくぼみ」とあった。

市指定史跡 姫地下壙
昭和40年11月3日指定
古墳時代後期の墳墓とみられる地下壙のくぼみがあります。1940年頃発見されてから55年頃まで、地方から3m下で、二方向へひろがり二室になっていました。一方は、南北に長さ約4m、高さ約1.5m、腰を曲げて歩くことができ、他方は長さ約2mありました。
桜井・姫小川古墳群では、こうしたものが他に5基発見されています。この地方は石材の産出しない所であるため、石室をもった古墳を作らずこのような地下壙が多いとされています。また別に、平安時代以前の貯蔵庫とする説もあります。
安城市教育委員会

 

その向こうに姫塚古墳。