墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

二子古墳 愛知県安城市桜井町印内二タ子

前回のつづき。

印内北分1号墳から細道を東に進むと、60mほどで二車線道路(県道44号)に出る。 

その向かい側には全長70m近くの大型古墳が横たわっていて、思わずおおっと声が出た。

 

パノラマでは距離が近いので歪んだ。

 

前方部の左下隅から。

 

解説板の脇から上り道がついていた。

 

その解説板。国指定史跡の前方後方墳

国指定史跡 二子古墳(ふたごこふん)
昭和2年10月26日指定
全長68.2m、前方部幅29.6m、後方部幅36.2m、前方部高さ4.3m、後方部高さ7.0mの前方後方墳です。
矢作川流域では幡豆郡吉良町正法寺古墳に次ぐ大規模なものです。低い前方部と比較して後方部を高く盛り上げ、墳丘を大きく見せています。
築造年代は、3世紀後半から4世紀初頭であると思われ、矢作川流域では最古級の古墳です。
安城市教育委員会

 

こちらは安城市歴史博物館での解説文。

二子古墳 国指定史跡 桜井町
碧海台地の東縁部に築かれた全長68mの前方後方墳で、桜井古墳群の中では最大規模の古墳です。埴輪や葺石はなく、北側と西側は周溝がめぐっています。姫小川古墳とともに西三河における最古級の古墳と考えられています。前方後方墳は東日本の古い古墳に多く見られますが、その成立過程や社会背景はまだ解明されていません。

博物館には150分の1のジオラマ(半分は築造当時を推定復元)もあった。

 

 前方部先端部から墳丘へ上がらせて頂く。

 

前方部から後方部。大きい。

 

後方部墳頂には「桜井天神社古跡」の碑が。 

 

後方部から前方部。比高差は3m近く。

 

後方部上から東側。新幹線の高架が真っ直ぐ続いている。

 

後方部の先をかすめる新幹線。よくぞ残った、残していただいた。

 

後方部の先端から見下ろして。

 

後方部から西側。

 

後方部から西側のくびれ部。

 

裾に下りて。

 

時計回りに裾を巡る。古墳は昭和2年国史跡指定を受けたので、新幹線の方が墳丘を尊重したのだろう。このあたりの三河安城付近の線路は16km強のストレートで二子古墳はほぼ中間。古墳にぎりぎりかからないようにするために数km先では線路が通る場所が大きく変わるプランがあったであろう(単なる推測です)

 

後方部先端裾から。前方後方墳らしい角張りかた。

 

東側の側面。

 

ここも後方部上に見事なモミジ。新幹線を待って。

 

右が後方部、奥が前方部。

 

裾に下りて。南東側から。

 

振り返った場所は、弥生中期から古墳中期まで続いた集落遺跡だった。

市指定史跡 二タ子(ふたご)遺跡
昭和40年11月3日指定
二子古墳東側一帯の低地に広がる、弥生時代中期から古墳時代中期の遺跡です。二タ子遺跡を含む鹿乗川流域遺跡群は、北は坂戸・三本木遺跡から南は惣作遺跡まで至る約4kmの範囲に広がる、弥生時代から古墳時代の大集落です。遺跡群周辺の碧海台地端部には、桜井古墳群が築造されています。
東海道新幹線建設に伴い、昭和36年(1961)に発掘調査が行われました。調査では、建物部材に使われたとされる八角柱や壺、甕、高坏などの弥生土器古墳時代の土師器が多数出土しました。同時に鍬と思われる板や容器、曲物などの木製品や箆被(のかづき)付き柳葉式銅鏃も見つかっています。
安城市教育委員会

 

その集落のあたりからの二子古墳。左が前方部、右が後方部。

墳丘基壇との比高差が比較的小さいので、親しみやすい感じでは。

 

前方部の右下裾から。