前回のつづき。
安城市歴史博物館の見学後は南に1km強にある塚越古墳へ向かった。
徒歩22分と出たのでここはタクシーを利用。県道44号上で下車すると、塚越古墳(願力寺)への表示があった。
枝道に入ってすぐ右手に、東川古墳があった。
北側から回り込んでみる。
藪に覆われた丘。表示板等は無かった。
後で検索すると、安城市教育委員会が平成27年3月に発表した「桜井古墳群保存管理計画書」に行き当たり、それによれば東川古墳は現状で南北約9m、東西11.5mの長方形で、高さ約0.9m。墳形や築造時期は不明とのこと。
https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/documents/siryouhen.pdf
願力寺は、そこから北に200m。
落ち着いた雰囲気の境内。
墳丘への入口を探すが見当たらず、あきらめかけていると境内の畑の手入れをしている方がおられて、尋ねると快く教えていただけた。
本殿右手の奥、洗濯物がかかっているところを左に入るとのこと。
裏庭のような道を回りこんでいくとその先に説明板が見えた。
全長40m超の墳丘が出現した。後ろがくびれ部。
その解説板。
市指定史跡 塚越古墳
昭和36年10月1日指定
4世紀末の前方後円墳です。全長は46m、後円部の高さは4.5m、前方部は1.6mあります。後円部のすそまわりと後部、それに前方部の西側とがけずりとられています。昭和25年(1950)墳頂の一部が発掘され、碧玉製紡錘車破片と鉄製工具破片、土師器片が発見されました。
高く大きな後円部と、低く長くのびる前方部をもつ、矢作川流域最古の古墳です。
昭和55年3月31日 安城市教育委員会
安城市歴史博物館での解説には前方後方墳の可能性も示唆されていた。
塚越(つかごし)古墳 市指定史跡
全長42mの古墳です。墳丘は削られているため前方後円墳か前方後方墳かははっきりとわかりません。昭和24年に後方部の調査が行われました。石室が見つからなかったため、木棺直葬または粘土槨などの埋葬施設だったと考えられます。出土品は副葬品と考えられ、紡錘車形石製品、鏨、鋸と考えられる鉄製品などから、前期後半の古墳であると考えられます。
小さな石橋を渡って墳丘上へ。
鞍部から振り返って。
鞍部から見た後円部。3m近い比高差がある。
後円部墳頂。
本堂の裏手にあたる。
後円部斜面、くびれ部近くのモミジは見応えがあった。
後円部上から前方部方向。
鞍部から前方部。ちょっと歩きづらい。
前方部上も結構繁っていた。
前方部の先の風景。
竹林の間から、台地下に広がる田畑が透けて見えた。