墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

和志山古墳(五十狭城入彦皇子陵墓) 愛知県岡崎市西本郷町

前回のつづき。

北裏古墳がある大塚公園から南東に100mほどで国道1号線旧東海道に出た。日本橋から331.5km地点。

 

国道1号を渡って南へ進むと名鉄宇頭(うとう)駅脇の踏み切り。

 

そこから和志山(わしやま)古墳(五十狭城入彦:いそきいりひこ皇子陵墓)までは徒歩7分

 

グーグルマップに従って進むと木立に突き当たった。グーグルマップは地図上のポイントに一番近い所まで誘導してくれるが、そこが入口とは限らない(特に古墳の場合は)

 

とりあえず道が下っている右側へ進んだ。道沿い右手の斜面にあった市営住宅を振り返って。

 

回り込んでいくと、宮内庁が管理する拝所が見えてきた。

 

今でも効力を発揮している高札。景行天皇皇子 五十狭城入彦皇子墓とある。以下は共通。

一、みだりに域内に立ち入らぬこと

一、魚鳥等を取らぬこと

一、竹木等を切らぬこと

 

石段を上がったところが鎖で結界されていた。

 

そこから鳥居に向かって参拝。

鳥居があるのでこちらが前方部端であろうが墳丘は木立の陰で全くわからなかった。

 

鳥居から右側。

 

Wikipediaの「五十狭城入彦皇子」の項によれば、皇子は景行天皇と後皇后の八坂入媛命との間に生まれた7男6女の第10子(日本書紀より)で、「先代旧事本紀」には三河長谷部直の祖と記される。

 

地域情報の深掘りサイト「みかわこまち」には当古墳は全長60m、後円部径30m・高さ6m、前方部幅26m・高さ3、4mの前方後円墳と推定され、後円部の直径や高さに対して前方部の幅が狭く高さも低い「柄鏡形」とあった。

明治期までは葺石が残り、昭和34年の伊勢湾台風の倒木で古い型式の円筒埴輪片が出土。

これらの特徴から古墳時代前期末~中期初頭(4世紀末〜5世紀初頭)の岡崎市内最古の古墳の一つで、安城の桜井古墳群と同系列の首長墓と考えられるそうだ。

https://mikawa-komachi.jp/history/washiyama.html

 

石段から南側を振り返って。

前出サイトの解説では、ここを左に回りこんで蓮華寺墓地の奥へ行けば和志山古墳のくびれ部が見られるとあった。

 

その蓮華寺駐車場には和志山2号墳が、さらに同境内の南端には庄屋塚古墳もあったことを額田大玉様のサイトで後から知った。

http://kofuntokaare.main.jp/7goufun/page146.html

http://kofuntokaare.main.jp/7goufun/page209.html

 

ストリートビューを見たら古墳の解説板も。

 

自分は拝所まで来た道を戻って、最初に見た木立の左側へ向かった。すると東屋の奥に小道が。

 

気になって下りてみる。

 

その先に陵墓の柵があったが、その途中に結界のようなものがあったので戻った。

 

宇頭駅へ戻る途中に、神明社へ立ち寄った。

 

神社の東隣の広場を見ると、その先に土盛りが!

 

土盛りの北側斜面はアスレチック。古墳ではなかった。

 

拝殿で参拝して駅へ向かったが、この社殿裏に本物の古墳があったことも後で知った。

こちらも額田大玉様のサイトで、いくつかの石材が残る墳丘を見ることができる。

http://kofuntokaare.main.jp/7goufun/page138.html

 

そこから宇頭駅へ戻る途中、100m先で電車が行ってしまうのが見えた。

 

一駅乗るだけだが15分以上待ち。

 

次々と特急が通過していった。