墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

北野廃寺跡 愛知県岡崎市北野町

12月最初の日曜日、愛知県の古墳を初めて訪ねた。

 

実は9月30日に長野県飯田市の古墳探訪ツアーに参加する予定で名古屋までの新幹線の切符をチケット店で購入していたが、大型台風の直撃で中止になってしまったので切符を有効活用する必要があった(?)

http://info.eco-iida.jp/?eid=1535741

地図で調べると(グーグルマップで”古墳”と入力します)、岡崎市安城市矢作川右岸にいくつも連なっていることを知ったので、名古屋から新快速で岡崎駅へ。

岡崎で愛知環状鉄道線のホームから。

 

入線してきた高蔵寺行き。”愛環”は旧国鉄・岡多線とのこと。

 

5駅乗って、矢作川を渡った先の北野枡塚駅で下車。

 

ホームから南側。目の前に広大な三菱自動車岡崎製作所がある。

 

出入口は高架下。SUICAが使えなかったが有人駅だったので下車証明をいただけた。

 

道路を渡ると工場敷地の角に出た。 

 

このグーグルアースの中央の場所。現地では塀の後ろにテストコースがあるとはわからなかった。

 

東縁の塀は800m以上。 

 

その中ほど東側にあった北野天満社。

 

参道の南端から。 この右側を少し入ったところに史跡があったので立ち寄った。

 

北野廃寺跡を敷地南側から。

 

岡崎市の解説板が。

史跡 北野廃寺跡
7世紀後半の白鳳時代に豪族の氏寺として建立されたこの寺院は東西126.5m、南北146mの土塁が四方にめぐり、中央に南から塔、金堂、講堂が一列に並ぶ四天王寺式の伽藍配置である。
主要堂塔のうち塔は法隆寺五重塔に匹敵する大きさであるのに、金堂が小規模であるのは、釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想のあらわれであろうか。
出土遺物は、高句麗様式の古瓦をはじめとして、堂塔の壁面を飾った塼仏、瓦塔、銅製の磬形垂飾、緑釉陶器や灰釉陶器など優れたものが多い。
大陸渡来の文化と土木、建築、工芸などの新技術を結集したこの寺院は、豪族権力の象徴であるとともに、矢作川流域に最初に開花した仏教文化の拠点としての役割を果たしたことであろう。
岡崎市

 

枝を大きく広げた木。

 

敷地の西側広場では、ユニホームの少年達がキャッチボールをしていた。

 

まずは塔があった基壇へ。

 

心柱の礎石は径2.5mあり、地下に据えられていた。基壇は一辺10.6mで、塔の高さは33m前後と推定されるそう。

 

その北側の金堂跡。基壇は間口14.9m、奥行12.4m。

 

講堂跡基壇は間口31.45m、奥行17.55m、高さ0.35mで、残っていた礎石や根石から建物は八間×四間で、間口26.95m、奥行き13.05mと推定されるそうだ。

 

一番北に僧坊跡。基壇はそっくり削られていたが、北土塁と講堂跡とのあいだに平らな小高いところが残っており、この位置に僧坊が建立されていたと推定されるそうだ。

 

耕作などにより大半が失われていたが、両側ところどころにに雨おち溝を設けた土塁の基底部(幅約18m)が残っていたとのこと。

 

土塁から見た僧坊跡の芝生、植木の先に講堂跡、その向こうに小学生。

 

講堂跡を東側から。

 

岡崎おでかけナビにも解説があり、「周辺にも古墳群が多いことから、権力や財力者の居住地や生活の中心地だったようです」と書かれている。

 https://okazaki-kanko.jp/point/464