前回の佐都ヶ岩屋古墳(平沢1号墳)から少し下ったところ、道路脇の墓地の斜面に平沢2号墳があった。
道路にあった表示。
墓地側へ下りるとすぐ右手に説明板がある。
平沢2号墳
4基が現存する平沢古墳群の一つで、通称開山岩屋という。墳丘の規模や形は不詳であるが、横穴式石室の一部で遺体を納めた後室が現存する。入口の玄門を精美に加工する特徴から、7世紀中葉~後半頃(古墳時代終末期)の築造が推測される。なお、この玄門の形が蓮弁を表現したもので、仏教の影響を受けていたとする見解もある。
また、傍らに「法華一字一石経 雲外謹書」と刻まれた石柱が立ち、この古墳が一字一石経塚として再利用されたことがわかる。江戸時代にこの近くにあった東寿寺という寺院の存在を伝える遺品である。
墓地の様子。
その背面に石室が残っていた(1号墳へ行く前では発見できず、戻ってきて再度探してわかった)
”尖塔アーチ型”の門は初めて見た。
生き物などが隠れていないか確認して中へ。
中からの風景。
アーチの下には30cmほどの段差がある。
フラッシュで。
側壁の上部。
玄室の角。
横棒は笹の根。微妙なカーブの加工は当初からのものなのだろうか。