墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

大円寺 東京都目黒区下目黒

前回のつづき。

東京文化財ウィークでは目黒・大円寺の木造釈迦如来立像が特別に公開されていたので11月4日に拝観した。

都内でも指折りの急傾斜・行人坂の途中に山門がある。 

 

入って本堂に参拝。堂内には十一面観音や大黒天が安置されている。

 

目黒区による解説板があった。 

大円寺天台宗) 下目黒1-8-5
この寺は「松林山大円寺(だいえんじ)」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。
本寺には、”生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山の手七福神のひとつ)などが安置されています。
明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運上人の木像、お七地蔵などが祀られています。
境内には「行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。
江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史が薫る静かな美しい浄域を守っています。
平成3年3月 目黒区教育委員会

 

十一面観音は平安時代の造立。正面のガラス窓越しにチラリと尊顔を拝めた。

木造十一面観音立像
目黒区指定有形文化財 彫刻
昭和59年3月31日 指定
この像は一木彫刻で、表面がかなりやつれ、面相も衣文線も制作当初の鋭い彫りの調子を失っているが、造法も作風も古様を伝えている。
やや面長な面相、伏眼がちの眼の表現、細身で長身な体躯等いずれも藤原時代の特色を示し、区内の彫刻の中では最も古い遺品の一つと推定される貴重なものである。
昭和59年8月 東京都目黒区教育委員会

 

本堂前には金箔が貼られた薬師如来像がある。社務所にて金箔セット3枚500円で授与され、気になる部位に貼る。全身が輝いていた。

 

本堂の左手に釈迦如来像(重文)を納めたお堂がある。

 

ご開帳は年末年始と4/8、甲子祭(年6回)と、文化財ウィーク期間(2018年は10/27と11/4)のみ。

 

参拝後、他の参拝客が来るまでのひと時、大きなガラス戸越しにしっかり拝見させていただいた。

 

お寺による(?)解説板。

釈迦如来立像(国・重要文化財
本尊は、京都嵯峨の清涼寺に伝わる釈迦如来立像を模して作られた像です。原像である清涼寺の本堂(国宝)は、東大寺の僧が寛和2年(986)に中国から請来したもので、請来当初から摂関藤原兼家以下の朝野の尊崇を集め、やがて多くの模刻が作られました。
現在こうした清涼寺式の違例は各地に数多くありますが、その中でも大円寺の像は、嵯峨の原像に相似し、よくその趣を伝えています。両耳孔には水晶珠をはめ込み、頸際まできっちりとつけた衣には、同心円状の衣文を刻み、各衣紋に沿って截金線が入っているなど他の像に比べて全てが細かに模されています。
昭和32年(1957)に行われた解体修理の際、胎内から白銅製の菊花双雀鏡、女性の髪、紙片、木札などが発見され、それらに書かれた陰刻や墨書から建久4年(1193)に制作されたとされます。
原像に勝るとも劣らない巧みな刀技で、四肢、五体の均衡に至ってはより自然味を増した優品であるとともに、制作年代もはっきりした貴重な文化財です。

 

10年程前に”嵯峨の原像”を拝観した際は、清涼寺式特有の幾重もの衣紋の迫力に引き込まれたが、本像では胴体や腿の膨らみの優美さにも惹かれた。截金線までは目視できなかった。

ご尊顔は、一昨年拝観した極楽寺の釈迦如来(やはり清涼寺式)に比べると男性的(?)

 

それほど広くはない境内だが、仏像の種類や数はとても多い。

 

解説板の目前に車が停まっていたので斜めから。

東京都指定有形文化財(歴史資料)
大円寺石仏群
所在地:目黒区下目黒1-8-5
指定:昭和45年8月3日
明和9年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦3年(1657)の振袖火事、文化3年(1806)の車町の火事と並び、江戸三大火事の一つに数えられている。「新編武蔵風土記稿」には、大円寺境内の五百羅漢は行人坂の火事で亡くなった人々を供養するために建立されたと記されている。
大円寺境内の北東斜面に、520躯の石仏群が安置されている。左右に文殊菩薩普賢菩薩を配した釈迦三尊像十大弟子十六羅漢が囲み、背後に491基の羅漢像が並ぶ。造立年代は、五百羅漢の中に宝暦13年(1763)の刻銘もあるが、多くは釈迦如来の刻銘天明元年(1781)以降の造立と思われる。嘉永元年(1848)に大円寺が再興された時、これらの石仏もここに安置されたと考えられる。
像高は、釈迦三尊像が147から55cm、十大弟子像が55~126cm、十六羅漢が95cm、五百羅漢像が37cm前後。判読できる銘文によると、行人坂の火事以外の供養も含まれているようである。また、広く勧進を募り、時間をかけて今の石仏群が作られたことも読み取れる。江戸災害史の貴重な資料である。
平成23年3月建設 東京都教育委員会

 

江戸の三大大火のひとつが、この寺が火元となった「行人坂の火事」(1772年)だった。斜面を埋める五百羅漢。

 

地蔵様の一群もおられた。

ほかにも阿弥陀三尊像(阿弥陀堂内)や目黒川架橋供養勢至菩薩像などが安置されている。