墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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葉山しおさい公園・葉山しおさい博物館 神奈川県三浦郡葉山町一色

前回も載せた、神奈川県立近代美術館葉山のエントランス前広場から見た風景。

ここから左側に小道があったので降りてみた。 

 

斜面の下に散歩道があり、彫刻作品が点在する。 

 

西 雅秋による「イノセンスー火」(1991年)

 

壁面前に立っているのは、アントニー・ゴームリーによる「Insider Ⅶ」(1998年)

ほかに幾つも作品があった。

 

作品解説かと思いきやそうではなく、この地に古墳時代から人々が集まって暮らしていたことを示すものだった。

 三ヶ岡(さんがおか)遺跡
神奈川県立近代美術館 葉山の建設に伴い、この地にあった三ヶ岡遺跡が発掘調査され、主に古墳時代から平安時代(4~10世紀)にかけての集落の跡が発見されました。この遺跡で特筆されることは、海浜に立地する特徴を活かした平安時代の製塩跡が見つかったことです。
ムラの跡:竪穴住居が22軒、掘立柱建物が1棟密集して発見されました。ほとんどが6~7世紀のもので、継続して居住していたことがわかりました。
製塩跡;約2×6mの範囲に火を受けて赤く硬くなった地面があり、そのそばから多量の土器が打ち捨てられたまま出土しました。また海水を煮詰めるためのものか、石組炉の跡も2基発見されています。

 

途中で、外の小道をクロスして隣地の公園への入口があった。魅力的な道だったので、まずは道を辿る。

 

海岸に続いていた。

 

階段を下りて振り返ったところ。

 

波の穏やかな日で、立って漕ぐサーフィン(スタンドアップパドルボード)をする方々がいた。中央に富士山。

 

上記の左手にも弓なりに砂浜。木立は葉山御用邸。

 

陸側を振り返って。左が美術館の敷地、右が「葉山しおさい公園」

 

小道を戻って公園の入口へ。入場料は300円。

葉山しおさい公園は、葉山御用邸の付属邸跡地で、大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地として町の史跡に指定されているそうだ。

 

手入れの行き届いた日本庭園と、茶室や休憩所がある。

 

 

鉢植えの黄色がまぶしかった。 

 

池の水の源の「噴井(ふけい)の滝」

 

 

池には錦鯉。 

 

いくつか色付いた紅葉もあった。

 

こちらは梅園。桜もあって、春はにぎわいそうだった。

 

茶室の一景庵は外観のみ。

 

こちらの潮見亭は中で座って休息できる。

 

正門側に近づくと「葉山しおさい博物館」もあった。

 

豪華な入口は、葉山御用邸付属邸の一部で車寄せとして使われていたものだそう。

 

入館料は入園料に含まれている。地下への階段を下りると、広い展示室が出現した。

 

葉山沖深海のジオラマ。

 

こちらは貝類など。奥はカラフルはウミウシなどの写真。

 

相模湾での深度別に甲殻類の分布を標本で示している。

 

昭和天皇から下賜された標本を展示する部屋もあった(中は撮影不可)

 

一階の休息コーナーからは庭が良く見える。

 

この庭園は、三ヶ岡山を借景としているそうだ。

 

1階で気になる展示を発見。

 

なんと、長柄桜山古墳から出土した円筒埴輪と壺形埴輪だった。

 

5年前の横浜の講演会で見たもの。葉山しおさい博物館に常設されていたとは。

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壺の底や高坏の坏部の破片なども。長柄桜山古墳の1号墳後円部墳頂から出土したもの。

 

長柄桜山古墳群と同時代(4世紀後半)に営まれたムラの遺跡(アブズル遺跡:堀内字五ツ合)から出土した高坏や鉢、壺などの土器。

 

長柄桜山古墳群の詳細解説もあった。 長いがわかりやすかったので書き起こしを。

国指定史跡 長柄桜山(ながえさくらやま)古墳群
長柄桜山古墳群は、平成11年(1999)3月に、逗子市と葉山町の境にある丘陵の上で新たに発見されました。2基とも4世紀代の前方後円墳で、現存している神奈川県内の古墳では最大級の規模を誇ります。
第1号墳 古墳時代前期後葉(4世紀後半)
全長91.2m 後円部径52.4m くびれ部幅24.2m
墳丘は、後円部三段、前方部二段につくられており、後円部と前方部の高低差が大きい前期古墳の特徴をもっています。後円部は左右非対称の形をしており、現在の逗子市街地が広がる田越川流域や逗子湾から望むことができる西側を整った形に作り出しています。
後円部の中央からは、長さ約7m、幅約1.6mの落ち込みが確認されました。地下に納められた木棺が長い歳月を経て腐食してつぶれたため、古墳の表面に落ち込んだ陥没坑です。部分的な断ち割り調査により、この陥没坑の真下から粘土槨(木棺を粘土で覆った構造の埋葬施設)が1基存在することを確認しています。
古墳からは埴輪がたくさん出土しています。後円部を中心に立て並べていたものを考えられます。出土した埴輪には、三角形の透かし孔が開けられた円筒埴輪や底がない壺形埴輪がみつかっています。また葬送祭祀に使われた壺や高坏などの土器も見つかっています。
第2号墳 古墳時代前期後葉(4世紀後葉)
全長88m、後円部径54m、くびれ部幅32m
第1号墳から西へ500mほど向かったところにある前方後円墳です。後円部と前方部の高低差があまりなく、前方部は第1号墳に比べると、幅が広くなっています。古墳の表面には砂岩や丘陵岩盤の泥岩を用いた装飾(葺石)が施されていました。第2号墳からも円筒埴輪と壺形埴輪が見つかっています。
前方部から西側には、相模湾に浮かぶ江の島をはじめ、天気が良ければ大山や富士山を一望することができます。
古墳群築造の背景
古墳群周辺の同時期の遺跡は、田越川中流域に集中して見つかっています。なかでも持田遺跡で石釧(いしくしろ)と呼ばれる腕輪形石製品が出土しているほか、池子遺跡群の竪穴住居跡からは銅製の鏡や鏃などが出土しており、これらは一般のムラから出土することが稀な、外から運ばれてきたものです。
田越川に沿って進むと、相模湾ー東京湾間を最短で往来できることから、当時この地域は物資流通の重要な拠点であったと考えられ、往来する人々が見上げる位置にある2基の古墳は、ランドマークとしての役割を果たしていたと考えられています。

 

 現地へはこれまで2度訪ねた。

 

葉山しおさい博物館には、古代の丸木舟も展示されていた。

 

 葉山町の間門遺跡、馬の背山遺跡出土の縄文土器破片も。

 

博物館見学後は公園の斜面下の方の小道へ。こちらは富士山も望める芝生広場。

さきほどの砂浜から見たように海岸からは石塀で隔てられている。

 

黒松の樹林の中を歩く。

 

ベンチもあった。

 

松の向こうの富士。

 

浅井忠や岸田劉生の絵に出てきそうでは・・・