墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国士舘大講堂 東京都世田谷区世田谷

松陰神社参拝後に、若林公園を隔てて西側にある国士舘大学へ向かった。 

キャンパスの中央を縦断する道路。

 

大学入口には組子細工の門(?)が。

文化祭に合わせての、文化財一般特別公開だった。

 

受付の学生さんに場所を訪ね、模擬店準備などで大わらわの通路を抜けて講堂前へ。

 

場所はここ。 

 

建物内では「国士舘創立記念展」が開催されていた。

 

建物前にあった解説板。大正8年(1919)の竣工なので、来年ちょうど築100年。

国登録有形文化財 大講堂
大正8年(1919)9月完成・木造平屋・建築面積285.34㎡
国士舘が1919年の世田谷移転時に建設した木造校舎。あえて西欧風の校舎を避け、入母屋造の大屋根を持つ伝統的意匠で建設された。内部は畳敷の広間と折上格天井の大空間で、本学創立の趣旨を体現する建造物である。
完成当初は、主に講義に使用し、学生たちが畳に座り机に向かって勉学に励む場であった。式典や講演会にも使用され、頭山満、渋沢栄一、中野正剛なども登壇した。1945年の戦災時には学生・教職員の尽力で焼失を免れ、唯一創立期より現存する建物である。

 

 

建物の前には、国士舘創立者・柴田徳次郎(1890~1973)の銅像が立つ。

 

建物正面に向かって右側面。

 

向かって左の斜め前から。

 

周囲が建てこんでいることと植栽が多いこともあって、全貌を収めるのが難しかった。

 

内部の様子。

国士舘の歴史の展示。国士舘は大正6年(1917)、東京麻布区笄町(現港区南青山)に私塾として創立、大正8年に世田谷に移ってからは中学校、商業学校、専門学校、高等拓植学校などを創設し、昭和23年に高等学校、昭和28年に短期大学、昭和33年に大学を設置し体育学部を開設している(現在は7学部)

https://www.kokushikan.ac.jp/research/archive/history/index.html

 

現地でいただいた東京文化財ウィークのカードには下記のように書かれていた。

国士舘大講堂

国士館は、大正6年(1917)11月、創立者柴田徳次郎ら若き青年たちによって、麻布笄町(現・港区南青山)の地に創立しました。その趣旨には、ノート式の近代教育を批判し、伝統文化を重視して心身の鍛錬と人格の陶冶をはかる真の教育によって、吉田松陰の松下村塾のように、未来の社会を担う優れた人材(国士)の養成を掲げました。

大正8年(1919)、国士館は世田谷の現在地に移転します。大講堂は、この時に建設された創立期より唯一現存する建物です。

大講堂は、創立の趣旨を反映し、あえて西洋風の外観を避けて、入母屋造の大屋根や狐格子の妻飾、内部の折上格天井や大床の講壇など、日本の伝統的な寺院建築の意匠が採られています。また、小屋組のトラス構造によって内部には108畳敷きの大広間を有し、往時の格式ある姿を現在にも留めています。

当初は教場として、後には式典や講演会の場として使用され、現在は国士舘のシンボル的建物として、その威容を誇っています。

 

短大開設で女子が入学したときの制服。

 

この日は板とカーペットが敷かれて靴のまま見学できたが、普段は畳敷きになっている。

 

回廊部分。

 

その背面には大太鼓が置かれていた。

 

建物概要の説明パネル。

 

昭和6年ごろの周辺の様子。

 

ひととおり見学して外へ。

 

上記の小道の先には創立者らの墓所もあった。

 

校内のイチョウが色付き始めていた。

 

道を隔てた反対側から見た国士舘キャンパス。