墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

亀塚~聖坂界隈 東京都港区三田

前回のつづき。

キリスト友会フレンズセンターを拝見した後は、二本榎通りを北東へ歩いた。

まず100mほどで幽霊坂が現れる。

前回の夜とは全く違う雰囲気。右のマンションも完成していた。

 

その斜向かいあたりが亀塚公園で、その東の角に亀塚がある。

 

 コフニストになったばかりの最初期に訪ねた場所。

 

 

古墳と断定できないがその可能性が高いという、もどかしい説明。

東京都指定史跡 亀塚
所在地:港区三田4-16-15
指定:昭和58年5月6日
古くから坪井正五郎博士等によって古墳と指摘され、広く知られていましたが、詳細な学術調査が行われず、古墳であると決めることはできませんでした。昭和45・46年、港区教育委員会が主体となり、慶応義塾大学が測量調査および発掘調査を実施した結果、この塚が古墳時代以後に築造されたことが明らかとなりました。さらに平成14・17・18年に港区教育委員会が亀塚と周辺の調査を実施し、亀塚の構築状況を明らかにしました。しかし、埋葬施設や周濠の存在は明確ではなく、依然として古墳と断定することはできていませんが、その可能性は高いと考えられます。
また、平安時代に書かれた「更級日記」に見える竹芝寺の伝説地とも伝えられ、文明年間(1469~87)には、太田道灌が斥候(ものみ)を置いたと伝えられています。江戸時代には、この地を屋敷地としていた沼田城主土岐頼熙(よりおき)が、これらの旨を記した「亀山碑」を頂上に建て、現在に伝えています。
平成19年3月31日 港区教育委員会 港区環境・まちづくり支援部

 

3年前にも訪ねたので、これで3度目の登頂。

 

墳頂(?)は結構広い。

 

こちらが亀山碑。

 

その説明板も。

港区指定有形文化財 歴史資料 亀山碑
亀山碑は、ここ亀塚の頂部にある幅2.2m、高さ1.4mの石碑で、上野国沼田城主土岐頼熙によって寛延3年(1750)に建てられたものです。土岐家は、明暦3年(1657)にこの地を下屋敷として拝領しました。詩文に秀でた大名といわれた頼熙は、この地が「更級日記」の故地であることや、塚の頂部に酒壺があり、ここに出入りする亀を神と崇めていたが一夜の風雨で酒壺の亀が石になったという伝説に興味を持ち、そうした由来を伝えるためにこの碑を建立したと考えられています。大名が邸内に建立した石碑として貴重なものです。
平成26年3月10日 港区教育委員会

 

「亀塚霊神祠跡」と刻まれた碑も。

 

亀塚の南東側は崖状に切れ落ちていて、その下に御田(みた)八幡神社があるが、今回は崖下には向かわずに二本榎通りへ戻った。

 

お寺の敷地を挟んで、旧三田東急アパートの廃墟。

 

3年前も廃墟だったが、その時は建物周囲は貸し駐車場だった。

 

今回は工事囲いがあって「お知らせ」が掲示されている。

 

ついに新築工事が始まるようだ。来年4月に着工して4年後の2023年10月に竣工予定、9階建ての住宅棟など。

 

金網の隙間から見納め。

 

その向かいは丹下健三設計のクェート大使館。

 

正面から。

 

その斜め前には、蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)

 

岡 啓輔氏が2005年に着工した未完の自宅で、三田のガウディとも日本のサグラダファミリアとも呼ばれている(?)

 

開口部が多く中が良く見える。下記のインタビューによれば、「正確な完成図はなくてインスピレーションでその都度即興的にデザインして」いるそうだ。

https://pacoma.jp/37435

 

道路の対岸から。

 

昨年の「日本の家」展や今年の「建築の日本」展でも”展示”されている著名建築。

 

その並びの三軒目の「メゾンド聖坂」にも取り壊しの表示が出ていた。

 

少し前にヒヤパさんの”廃ログ”で拝見(廃見?)した物件。たしかに、maisonのフォントだけ違う。

http://hiyapa.hatenablog.com/entry/2018/08/24/235840

 

その建物の後ろ側は崖の斜面にかかっていた。撤去後は崖下と一緒に再開発となるのだろうか。

なるだけ地形はいじらないでほしいが・・・