墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

キリスト友会フレンズセンター 東京都港区三田

「キリスト友(ゆう)会」はWikipediaにて、キリスト教プロテスタントの一派であり、一般的にはクエーカーと呼ばれる宗教団体と知った。

その東京月会(Tokyo Monthly Meeting)の礼拝堂が伊皿子交差点の近くにある。

 

旧道の風情がある二本榎通りの枝道。

 

枝道を進むと門の前に東京文化財ウィークの幟があった。門柱の表札には「キリスト友会日本年会 キリスト友会東京月会」とある。

 

はじめはこちらがそのセンターと思ったが、こちらは礼拝施設のようだった。

 

同じ敷地の奥に、今も友会会員の研修や海外フレンドの宿泊で使われている「フレンズセンター」があった(通常非公開)

 

ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。

大正11年(1922)竣工の木造二階建て。

 

シンプルな庇のある玄関。 

 

 その庇は横から見ると意匠に富んでいた。

 

さらに右に回りこんで。塔屋のような部屋がちょこんと載っている。

 

玄関ドアを逆サイドから。

 

そこから上を見上げたところ。

 

そのあたりから左側の側面。

 

以下はいただいた東京文化財カードの解説から。

登録有形文化財(建造物)キリスト友会フレンズセンター

大正11年(1922)に、米国フィラデルフィア・フレンド婦人外国伝道教会から宣教師として派遣されたトム・ジョーンズ一家の住居として建てられました。その後は国内外のフレンズ(友会徒)の交流の場として貢献し、特に昭和21年(1946)にはララ物資の拠点として活躍しました。また今上天皇の家庭教師であったE・バイニング夫人も宿泊され、現在も友会関係の宿泊施設として利用されています。

設計は米国人建築家ヴォーリズで、図面も残されています。のちの昭和初期の増築もヴォーリズにより、木造2階建てに地下室(洗濯室等)が付きます。1階は食堂と暖炉のある今が続き間で、和風意匠も取り入れたくつろぎの場となっています。2階はそれぞれ独立した寝室です。外観は、勾配の緩い屋根、玄関に突き出した庇、落ち着いたグレーの外観、白塗りの木製格子窓等が特徴です。保存状態も良く、数少ない関東大震災以前の西洋館の一つとして貴重です。

 

1階の主室、暖炉のある部屋。

この部屋に限らず、今も普通に使われていながら、素敵な気品が漂っていた。

 

その窓側。ここも結構大勢の人が見学に訪れていた。

 

梁に貼られた(?)板に、竹の透かし彫りがあった。

 

ダイニングの大きなテーブル。ここにシスターのような婦人が座っていらして話をうかがうと、戦時中この地下室で空襲を体験されたとのことだった。

いただいたパンフによれば、昭和20年の空襲で敷地内にあった会堂や学生宿舎は焼失し、この建物だけが残ったのだそう。

戦後は普連土学園生徒の教室となったり、被災した会員や関係者の仮住まいとなったりして、昭和21年からは日曜日の礼拝会も始まったとあった。

 

その奥の食堂。明るい光が満ちていた。

 

網代天井の書斎も。

 

2階への階段。

 

上った先は3階(塔屋?)へと続くがそこは立入禁止。

 

2階の3部屋はすべて宿泊用だった。こちらは半洋室? 

 

暖炉のある主寝室。

 

反対側はベッド。

 

椅子や机などが品がよい。

 

洋室だが押入れがあったりしたので、半和室?

 

2階の窓から見えた、緩い勾配の屋根。