前回のつづき。
東武東上線の上福岡駅から、上福岡歴史民俗資料館へ行き、権現山古墳群史跡の森を経て新河岸川沿いを遡って、かつての福岡河岸に到着。
沿岸にある舟運遺構。
上福岡歴史民俗資料館にあったジオラマ。
上記の中央の建物の裏側の石垣は今でも残っている。
少しずらしてあるのは意匠?
丸く回り込んで後ろに続く。
その奥には旧福田屋の木造三階建物。
石畳の坂道を上がって福田屋(奥の右)へ向かう。左は旧江戸屋だが蔵だけひとつ残っているようだった。
旧福田屋は、ふじみ野市立の福岡河岸記念館になっていた。
入場料は一般100円。
ふじみ野市立福岡河岸記念館
伊佐沼を源とする新河岸川には、江戸時代前期から昭和初期まで多くの船が往来していました。養老橋をはさんで川の左岸には古市場河岸、右岸には福岡河岸が設けられ、このあたり一帯は多くの商家がたちならび、たいへんにぎわっていました。
ふじみ野市立福岡河岸記念館は、市指定文化財回漕問屋福田屋の建物を保存・公開するとともに、福岡河岸が新河岸川舟運で栄えた明治時代中ごろの様子を再現し、郷土の歴史と地域の文化について理解を深めていただくことを目的として開館しました。
外の塀沿いにあった、ふじみ野市の解説板。
回漕問屋 福田屋
新河岸川舟運が本格的に開始されたのは、正保4年(1647)川越藩主松平伊豆守信綱の時代になってからと言う。福岡河岸は、享保18年(1732)頃から吉野半兵衛・吉野三之助(江戸屋)・富田門左衛門の三軒が回漕業を始めたのが起こりで、安永2年(1733)にはこの三軒の回漕問屋が江戸幕府から公認された。天保2年(1831)富田門左衛門に代わって福田屋の7代目星野仙蔵が回漕業を始め、これが福田屋の始まりである。
天保10年(1839)、八代目仙蔵が鍛冶屋跡地(現在地)を買い取った。回漕業を行うかたわら肥料・薪などの仲買商も始め、三富や武蔵野開発地域の農業生産の発達に伴って取引が増大した。明治初期頃、再建築された主屋を店として使い、荒物・酒の商いや製茶・機織などを加え大いに繁盛したが回漕業(船問屋)は明治末年に至って廃業した。
明治30年代頃に離れ(三階建)を建てた十代星野仙蔵(安太郎)は、自宅に剣道場を新築して「福岡明信館」と称し、明治35年には剣聖と呼ばれる高野佐三郎より小野派一刀流の免許皆伝を受ける。一方、仙蔵は政治家の道を歩み、明治37年衆議院議員に当選し国政に参与するとともに、当時著名な実業家の根津嘉一郎と知り合い、当地方念願の鉄道敷設計画をまとめることに成功。大正3年の東上鉄道(現在の東武東上線)の開通に至るまでの中心的な役割を果たした。
なお、福田屋関係資料の内、ふじみ野市指定有形文化財に左記の物件が指定されている。
1、建造物「主屋・離れ(三階建)・文庫蔵」明治初期~中期頃建築
2、古文書「福田屋文書」江戸初期~明治・大正期
3、歴史資料「福岡村戸長役場資料」明治15~22年
4、民俗文化財「福田屋帳場道具一式」江戸後期~明治・大正期
平成5年3月 ふじみ野市
右手の主屋からの見学ルートになる。
主屋の庭側の窓。よく見ると・・・
鉄の格子が嵌っている。
建物内側から。
そのすぐ後ろが帳場。鉄格子はかつての大繁盛の証なのだろう。
上記の右側に部屋が2つ続いている。
ふじみ野市の公式サイトには新旧平面図や写真、解説論文まで添付されている。
http://www.city.fujimino.saitama.jp/doc/2014103100152/
福田屋はBS朝日の「百年名家」という番組で一年前に取り上げられている。番組HPにて多くの写真(360°画像を含む)が見られる。
http://archives.bs-asahi.co.jp/100nen/prg_148.html
2階への階段は箪笥使用。階段からは立入禁止。
裏からみた階段箪笥。かなりの収容力。
帳場の近くの土間には舟が吊るされていた。下の壁際にあるのは大型舟の舵。
そこにあった解説板。
安永2年(1773)、江戸幕府より福岡河岸の三之助(江戸屋)・半兵衛(吉野屋)・門左衛門の3軒の問屋が公認されました。その後天保2年(1831)、福田屋の七代仙蔵が門左衛門の問屋株を借り受け、船問屋を開業しました。
江戸時代後期から明治時代中ごろにかけて隆盛をきわめた船問屋は、しだに回漕業と合わせて肥料や荒物小売りなどの商売もはじめました。しかし、明治28年(1895)の川越鉄道の開通によって、舟運は衰退に向かい、明治末年には江戸屋・福田屋は船問屋をやめています。吉野屋だけが取り扱う商品を増やしたり、引き札(広告)を配ったりして大正末年まで営業を続けていました。
(後略)
新河岸川はくねくねと蛇行するが、豊富な水量を保つためにわざと蛇行を残したと聞いた。
主屋の「おくの間」の見事な飾り桟。上の欄間は菱格子。
北向き小部屋の窓はモダンな意匠。
トイレの陶器も凝っていた。
文庫蔵は展示室になっている。
文庫蔵の隣の「離れ」は木造三階建て。
1階の窓格子は波模様。
1階はいってすぐの不思議な小部屋。
後からとってつけたような柱。
天井は風呂場のような意匠、ということで、もともとは足湯場のような使われ方をされていたのではとの推測もできるようだった。
台所棟は広い土間。
「男部屋」は土間の2階だった。
近くの廊下に女部屋と書かれたサインがあったが、入口がどこかと・・・
梯子の上ると4畳の部屋があるとのことだった。
外から見た台所棟。左が主屋。
台所棟脇の祠。
祠の脇から見た、新河岸川対岸風景(少しズームで)
台所棟前の井戸。
そこからは入り組んだ屋根の形を楽しめた。
中庭側に戻って、見上げた文庫蔵(左)と離れ(右)
文庫蔵の一階は板壁で覆われている。
裏側から見た離れ。
入口の門から。
離れの3階をズームすると色ガラスの緑が写った。ここからは新河岸川はもちろん、筑波山や富士山も眺められるという。
離れ3階(及び離れと主屋の2階)の公開日は月に一度しかなく、電話予約制になっている。
http://www.city.fujimino.saitama.jp/news/2018100700018/
年内は11月3日!と12月2日。