前回のつづき。
中田横穴の見学会にて、いわき市考古資料館に出土品が展示されていると聞いたので帰路に寄ってみた。建物前には50台収容する駐車場。
入ってすぐは、子供たちが遊べるコーナー。
入館無料な上に「みんなで学ぼう いわきの歴史」という冊子をいただけた。
学校の副読本のような豪華A4版4色60頁で、古墳についても詳しく紹介されていた。
こちらの「ポシェットブックス いわきの遺跡めぐりー考古学への誘い96遺跡ー」は800円。
96遺跡のうち23は古墳や横穴墓で、大変充実した内容だった。
上記の本の前書き部分に、その通り!と共感できる文章があった(僭越ですが)
(前略)遺跡をたずねて、その場に立つと立地環境を体感できる。古代人もこの場で、活動したのだろうと感応し、頬をなでる微風に乗って、古代人の匂いと香りとささやきが・・・・。との熱き思いに浸れるのも野外の遺跡だららこそ可能なのである。
いざ、企画展示室へ。「石城国建国1300年展ーいわきの始まりー」という興味深い展示内容だった(2019年1月10日まで)
2018年は養老2年(718)に石城(いわき)国が建国されてから、ちょうど1300年にあたるのだそう。
展示室の様子。企画展示室は撮影可。
上記の背面には、中田横穴からの出土品が展示されていた。
以下の写真はグーグルフォトの編集アプリで色味を「都会」に修正しました。
まずは馬具。こちらの磯金具(いそかなぐ)は鞍に取り付けるもの。
こちらは壺鐙(つぼあぶみ)金具。
金銅製の馬齢(と小鈴)
装身具も様々。勾玉、棗玉、管玉、ガラス製飾り環。
作ったばかりのような勾玉。
明るい青、深い青、緑も美しい色合い。
元々の貝製の、そして石製の釧は馴染み深いが、青銅製は初めて見た。
他にも須恵器や鏡や砥石、紡錘車などなど。副葬品は数も種類も豊富だった。
現地の様子。
パネル説明も大変興味深かった。
古墳時代、後期になると各地を支配していた豪族が、畿内の勢力から「国造」の称号を与えられる。
「国造本紀」と「常陸国風土記」で記録が異なるものの、古墳や横穴の豪華な副葬品は「国造」と考えられる有力者が存在していたことを示しており、いわきを含む南奥地域が早い段階で畿内地方の影響を受けていたことがわかるそうだ。
「石城国造(いわきのくにのみやっこ)」や「菊多国造(きくたのくにのみやっこ)」のような有力者がいたことを物語る、古墳時代後期の、夏井川・滑津川下流域などの主要な古墳・横穴。
上記の南、小名浜港のそばには「泉町C遺跡」などがある。
泉町C遺跡では古墳時代前期の畿内系や東海系の土器が出土し、6世紀~7世紀末には関東系と在地の土器が一緒にまとまって出る状況も見られる。
泉町・小名浜周辺は石城国建国以前の旧陸奥国の南端にあたり、泉町C遺跡は関東地方沿岸部から陸奥国にいたる海上交通の要衝。常陸国風土記には石城で造った大船の話があることから関東以南地域と船で交流していた可能性が考えられるそうだ。
泉町C遺跡の竪穴から出土した、7世紀後半~末の関東の(そしてそれを模倣した)土器。
奈良~平安時代には陸路(駅路)も整備された。 石城国には駅家が10ヶ所設定されたそう。
他にも多くの史料・資料が展示されていたが、目を惹かれたのはガラスケースに入った神谷作101号墳出土の天冠(てんかん)埴輪。
レプリカだが本物の風合い。国指定重要文化財の実物は県立磐城高校の収蔵庫に保管されている。
足がかわいい。
昭和23年、工事中に埴輪の一部が発見され、県立磐城高校の生徒により発掘調査行われた。砂丘上にあった墳丘は既になくなっていたが、数多く出土したの埴輪片を接合したところこのような立派な埴輪であることがわかったそう。
これは刀の鞘?
こちらは島田髷の女性。
腰には四鈴鏡(?)
植田の後田古墳出土の陶棺。関東以北では大変珍しいそう。円筒状の足は3×7=21本!
常設展示も素晴らしかった。
旧石器時代から江戸時代に至る遺物が展示されているが、特に縄文~弥生の土器の数が多く圧倒された。古墳時代のものも神谷作古墳群の大きな円筒埴輪や、牛転(うしころび)古墳出土の人物埴輪(笑顔が最高!)などが見られ、充実していた。
残念ながら常設展示室は撮影禁止。公式サイトに部屋の写真がある。
http://www.iwaki-koukoshiryoukan.jp/sisetsu.html#koukotoha
いわき市考古資料館は常磐自動車道の湯本ICに近く、あのスパリゾートハワイアンズからも徒歩14分!おすすめです。
毎月第三火曜日が休館。