墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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中田横穴 福島県いわき市平沼ノ内字中田

前回のつづき、この日の主目的地である中田横穴(なかたよこあな)へ。

いわき市のサイトには賢沼寺(弁天様)駐車場を利用とあったので、そちらへ向かう。

そこから13時の見学開始に合わせて、12時45分から20分間隔のマイクロバスが出るとあったが12時前に着いたので、同じように早めに着いた方と10分ほど歩いて現地に到着した。

http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1505865929046/index.html

 

その方は地元の人で、いつも目の前の国道を行き来するたびに、色鮮やかな石室を見たい思いを募らせていたそうだ。

中田横穴は2011年の東日本大震災前は毎年5月から10月の第二日曜に公開されていたが震災での中断が続いていて、このたび7年半ぶりの一般公開となった。

今年はこの日だけとなったが、今後も年に一度の公開を予定しているそうだ。 

 

県道15号沿いにある見学施設。着いたときには誰もいなかったが、すぐに係りの方が到着。

 

この横穴墓は昭和44年にこの道を敷設する工事で見つかった。南側方向。

 

北側方向。

 

その説明板。

中田横穴は、6世紀末に作られた横穴墓で、わが国の装飾横穴墓を代表するもののひとつです。県道新設工事中、昭和44年1月20日に発見されました。
横穴の内部は複室をもつ特殊な構造です。前室は後室よりも小規模で入口の幅も狭く2つの部屋の間にある玄門部には、排水のための溝があります。
後室の壁面には被葬者を覆い包むように、1辺約40cmの連続三角文様が赤色と白色で3段に描かれています。三角文様の原料は、赤色がベンガラ(酸化第二鉄)、白色は白粘土です。
副葬品には、わが国最大級の金銅製馬鈴をはじめ、装身具385点、武具747点、儀装馬具169点、そのほか鏡など、古墳時代を代表する遺物が多数出土しています。
奥行き:6.67m 
前室の長さ:2.00m 前室の最大幅:2.20m 前室の最大高:1.85m
後室の長さ:2.60m 後室の最大幅:2.80m 後室の最大高:2.28m
指定:昭和45年5月11日 所在地:いわき市平沼ノ内字中田

 

構造図。 

 

そのうちに「公開中」の看板が架かった。

 

最初のバスが到着する前だったが、遠くから来たということもあってか、その場で待っていた自分を含めた3人に声が掛かり、先に見学させていただけた。

 

窓越しに、鮮やかな赤と白の三角文様をしっかり見ることができた。

 

奥壁までは7m近く。三角形の一辺は40cmほど。1400年以上を経ても美しい赤色だった。 色と文様に大感動。

昭和44年まで未盗掘のままだったことや、土盛りではなく岩をくり抜いた空間であることなどにより、綺麗に残っているようだ。

 

ガラス越しでAFが合わず、マニュアルもうまく行かずにズームは失敗。

 文化庁のサイトで、写真が見られる。

 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/201146/1/2 

 

現地でいただいた資料にあった奥壁の写真。

 

奥壁側からの写真も。玄門の右の楕円は岩盤の層が浮き出たもの。

 

出土した馬具の写真も。 

 

非常に豪華な副葬品が納められていたことから、被葬者はヤマト王権と密接な関係を持っていたと推測されている。

ここから説明会用の現地パネル。

 

上記の装飾品をつけた馬の様子。

 

馬具の解説。

中田横穴墓の馬具
中田横穴部の数多い副葬品のなかでも特筆されるのは、豊富な金銅製の馬具類です。国内最大級の大型金銅製馬鈴をはじめ、鐘型杏葉や鞍金具、壺鐙飾板、雲珠、辻金具、鉸具(かこ)などは「鉄地金銅張」という鉄の地金(板)に金メッキした薄い銅板をかぶせた技法の優品揃いです。
これらの金銅製品は、先進的な新しい金工技術によって製作された資料で、金色の輝きは、今も十分に機能しています。この光輝く馬具を所有した被葬者は、ヤマト政権と密接な関係にある人物だったと思われます。

 

こちらは横穴墓発見当時の写真。

 

福島県内の他の装飾横穴墓についての解説もあった。

福島県内の装飾横穴墓
茨城県から東北地方南部の太平洋岸では、彩色された横穴墓がいくつか発見されています。
主に福島県の海岸沿いと宮城県に点在し、これ以外では県内の阿武隈川上流域で2例が確認されています。福島県内では、中田横穴墓の他に、国の史跡に指定された装飾横穴墓が3例あります。
泉崎村泉崎横穴墓、南相馬市羽山横穴墓、双葉町清戸迫横穴墓は、ともに7世紀に造営されたもので、渦巻き文と馬・狩猟図など共通する構図が描かれています。いずれも、東日本を代表する装飾横穴墓となっています。

泉崎村の泉崎横穴墓は年に一度の公開が継続されていて、2018年は、この日と同日の10月13日であったことを調べている今知った。

東北本線で白河の2つ先の泉崎駅の近く。来年はこちらを訪ねたい。

http://www.vill.izumizaki.fukushima.jp/page/page000646.html

 

南相馬市の羽山横穴墓は、4月、5月、9月、10月の第2日曜日(但し、翌日が祝日の場合はその祝日)に公開されている。

 

双葉町の清戸迫横穴墓は帰還困難区域にある。

上記のエントリを見返すと「羽山横穴墓をこの秋訪ねたい」と言っていた自分がいた・・・

 

 

中田横穴にての現地解説でも伺ったが、この周辺には他にも多くの装飾横穴墓があるという。壁の模様は円が描かれていたり、一面に赤が塗られたりと様々だそうだが、一番立派なものが中田横穴とのこと(中田横穴以外は見学不可)

 

検索していたら、いわき市教育委員会による発表資料(2013年)に行き当たったが、そこに周辺の横穴墓の壁画写真がいくつか載っていた。

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/wg_01/wg_09/pdf/shiryo_3.pdf

 

見学施設の向かい側の風景。稲穂が広がっていた。

 

中田横穴(下の図の中央左・県道15号沿い)は海からは1kmほどしか離れていないが間に山がある。

右下(スマホ画面では枠外)の塩屋崎灯台は標高73mの立地だが、明治32年(1899)に開設され、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台ともなっている。

 

今回訪ねそびれてしまったので下の写真はグーグルアースから。

検索していて下記の記事を知った。

灯台の北側の平薄磯地区は3.11の津波で265世帯のほとんどが流され120名以上が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りします。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6995