前回のつづき。
車塚古墳の見学後、道を隔てた民家の先にある姫塚古墳を訪ねた。
現存する部分は全長30m、高さ3.5mの前方後方墳。
車塚古墳の説明板の地図に姫塚古墳が記されているが、うすーく前方後方墳の形が重なっている。上記の丘は後方部になるが、手前に延びる角は後から付け足された(削った前方部の土を移動した?)ように見える。
こちらはネット上にあった大洗市の資料(平成24年度・範囲確認調査実施について)より。
この丘(磯浜古墳群)では姫塚古墳が一番初めに築造されていた。
http://www.town.oarai.lg.jp/~syougai/syogai/info-1386-288_3.html
上記資料の解説から
日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳の範囲確認調査の実施について
平成21年度以降進めている、磯磯浜古墳群(姫塚古墳・車塚古墳・坊主山古墳・日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳の4墳)の国指定化事業の一環です。
磯浜古墳群周辺には、弥生時代以来の大規模集落である髭釜・一本松遺跡が展開し、古墳時代の3世紀後半も継続されます。そのような中から30m級の前方後方墳である姫塚古墳が築造され、4世紀にかけて坊主山古墳、日下ヶ塚古墳、車塚古墳の大型の前方後円墳や円墳が次々と築造されていきます。出現期古墳や前期古墳が一地区に集中して築造され続けた、この地域の古墳時代の社会背景を探ります。(後略)
姫塚古墳の裾から見た車塚古墳。
墳頂に上がらせていただいた。
墳頂から西方向、車塚古墳。
墳頂から南東方向には坊主山古墳の木立が。
墳頂で木々の間から見た北東側。丘の端に立地していることがわかる。
南側からみた墳丘。
パノラマで。左は車塚古墳。
そこから右側、東方向の眺め。
この姫塚古墳も、昇寛さんのサイトにて発掘調査時の様子がうかがえる。
http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/ooarai_himeduka/
この2011年の発掘調査にて周溝が検出されて墳形がわかり、小型丸底土器が出土したとのこと。