墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

昌徳宮・昌慶宮(の一部) ソウル特別市鍾路区臥龍洞

前回のつづき。

景福宮キョンボックン)から北村を横断して歩いてきた昌徳宮(チャンドックン)入口の敦化門(トンファムン)

 

1609年に再建(元は1412年)されたソウルに現存する最古の宮殿正門とのことだが、きれいに塗られているので古い感じがしない。

 

昌徳宮は1405年に景福宮離宮として建立されたが、景福宮文禄・慶長の役(1592~1598)で全焼し、1615年の再建後にも焼失して長く再建されたなかったので、約270年間に渡って昌徳宮が正宮として使用された歴史がある。

地形に沿って配置された建築群の他に自然があふれる庭「秘苑(ピウォン)」があり、自然と建築の調和に優れていること、全体の保存状態がよいことから、韓国の五大古宮の中で唯一「ユネスコ世界文化遺産」に登録されている(1997年)

解説は下記のコネスト韓国のサイトから抜き書きした。

https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=547

 

入場料は大人3000ウォン。 

敦化門から入って右に石橋を渡ると進善門。

 

進善門から東側を望む。左の回廊の中央に仁政門がある。

 

仁正門を正面から。

 

その仁正門の奥に仁政殿がある。

昌徳宮の正殿で、王の即位式・朝礼・外国使臣の接見等が行なわれ、臣下は前の広場で位階に応じて(左右に並ぶ石柱が位置示す)についたそうだ。

 

 

回廊の外に戻って次の門をくぐると左手に青い瓦屋根の宣政殿(とその前の宣政門)が見えてくる。

宣政殿は王が日常的な政務を行なった便殿(ピョンジョン)

 

現存する宮殿の中で唯一青い瓦をもつ貴重な建物だそう。

 

内部の様子。

 

宣政殿の東側には王と王妃の生活空間であった建物がある。

 

その奥まった場所にある大造殿。 

 

内部の中央には、螺鈿の施された豪華な椅子があった。 

 

大造殿の一列前の建物脇にあった説明板(の位置)

 

そこにあった日本語の解説。

大造殿は国王と王妃が生活した空間で、王室の大きな行事も度々行われた。大造殿は昌徳宮の寝殿で、中央の広い板の間を挟んで両側に王と王妃のオンドル部屋を配置している。本来ここにあった興福軒は、1910年、朝鮮王朝最後の御前会議が開かれた悲運の場所であり、行閣や回廊で多くの付属の建物が繋がっていた。1917年火災で焼けた跡地に景福宮の交泰殿を移し建て、現在の姿になっている。朝鮮最後の王妃である純貞孝皇后の居所だったので、固有の装飾や壁画、障子の組子などがよく保存されている。裏側には4段の階段式庭を作って後苑にし、建物の後ろ側の突出した縁側から景色を鑑賞できるようにした。 

 

昌徳宮のさらに東側に昌慶宮が隣接する。昌徳宮から追加1000ウォンを支払って入園。

 

降りた先の建物(通明殿)は中に上がれるようになっていた。

 

微風が通り抜けて、とても心地よかった。座りながら天井を見上げて寝落ちしそうになった。

 

誰もいなかった板の間で休息していたら次々に人がやってきたので、その場を後にした。

 

昌慶宮の正殿である明政殿(1616年再建)はこの南東にあったが、しっかり休んで時間がなくなってしまったので、再び昌徳殿を経由して地下鉄の安国駅へ向かった。

 

昌慶宮は朝鮮王朝第4代王の世宗が、父の太宗の退位後を送る場所として1418年に建てり、後の王の家族の別宮となるものの、ここも文禄・慶長の役で焼失し、1616年の再建後も火災に遭う度に復旧されたが、日本統治時代には動・植物園となり、1980年代に韓国政府の大規模な復元・改修工事を経て昔の姿を取り戻すに至ったとのことだった。

 

昌徳宮では建物群の奥にある庭園(秘苑)がある。時間指定・人数制限有りのツアーでのみ入れるが今回は時間がなくて次の機会とした。

後で調べていたら、いつも拝見させていただいている在華坊さんの過去のエントリで詳しく紹介されていて、おかげさまで心残りだったエリアを追体験できました。

http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20140814/1408356166